meet(出会い)03 「どうせ・・・」の気持ちを誇りに変えていく
  だから部落解放運動は面白い 川口泰司さん
   
 

差別なんてしていない、部落問題なんて関係ないと思っている人の心の奥底に「ほんまにそう?」と問いかけたい。キレイゴト、タニンゴトじゃない、人権教育は自分自身の心の奥底のドロドロしたものをひきずり出して、取り除いて自分自身が解放されていくことなんやと伝えたい。だからわかりやすく、楽しく。耳を傾けてもらうために“エンタの神様”にも学ぶ。部落問題をドンと真ん中に据えて、差別と人権をあつく語る川口泰司さん。「見えない差別」を見抜く力を、「本当の自分を取り戻そう」と、若き語り手はあくまでもポジティブに、差別とは何かを発信しつづけている。

部落出身だと言えなかった大学時代

川口泰司さんは1978年、愛媛県宇和島市の被差別部落で生まれた。小学6年生の時に「ブラック差別」と勘違いして、部落出身という立場を知る。この時の出会いは「小さなマイナス」だった。しかし中学時代、同和教育に本気で取り組む教師と出会い、部落解放運動を知る。高校時代は市内の部落出身高校生を中心に「高校生友の会」を結成、初代会長に。この頃は自称「歩く水平社宣言」。自己紹介は「はじめまして、ボク、部落出身です(笑)」だった。(「ハート」で挑戦、自己解放への道」)。

---高校を卒業するまでは活発に部落解放運動に取り組んでいたのに、大阪で暮らすようになってから部落出身者だと言えなくなってしまう時期があったのですね

  地元では、自分が部落出身だということを肯定的にとらえることができたんです。部落の仲間、同和教育に熱心に取り組む先生や、地域の大人たちの中で生きていたから。そんな中では「加差別(差別する側)の現実」をホントの意味で実感していなかったと思う。

  ところが大阪では、ボクが部落出身だということを知らないから「このへんは気をつけろよ部落やから。事故でもやったらえらいことになるぞ」とか、先輩や友達が親切心で教えてくれる。部落に対する圧倒的なマイナスのニュアンスを肌で感じていった。それは地元を離れてはじめて感じた「差別のまなざし」でした。ああ世間の人は部落をこんなふうに見てるんや・・・と。そんなことが続いていくうちに、いつの間にか、世間の部落に対するマイナスの「まなざし」を、自分自身も内面化していったんです。

---信頼している人の言葉なら、なおさら、きついですね

  大学の解放研(部落解放研究会)では部落出身者としてバリバリ活動しているのに、バイト先やサーフィン仲間には、部落出身だということを隠している。差別発言を目の当たりにしても何も言えない自分。そのことにすごく葛藤しました。部落出身者であるということはボクにとって大きな部分を占めているのに、それを隠してる。まさにアイデンティティが引き裂かれるというか、言えへん自分が嫌で仕方がなかった。「僕は部落出身なんです」と言えるまでたくさんの本を読んだり、自腹で部落問題の講演会に参加したし、そんな自分から早く解放されたいと、もがき続けました。

---もがきながらも部落出身者としてカミングアウトしたい。どうしてそう思ったんですか?

川口さん  中学、高校時代に同和教育や解放運動をしていく中で、人間がほんまに「つながる」ことができる、本音で語り合える経験をしてきたことが大きいですね。ボクが部落出身だということで揺れているときに、部落外の子も家庭のことや、いろいろなしんどさがあって、そのことを本音で語り会って、つながったり、クラスの中でありのままの自分、部落出身ということを分かってもらった上で、自分を出してつきあえていた経験。タテマエやキレイゴトではない、人間関係の居心地のよさを知っていたから「こんな自分は嫌や、もう一回あの人間関係の中で生きたい」と強く思い続けていたんです。そんな経験したかどうかで大きくちがっていたと思うんです。

---いま、部落問題を学ぶ機会が減っていますね。「部落差別はいけない」ということは分かっていても「部落は怖い」「なんか違う存在」という偏見はまだまだ残っているし、同和教育や解放運動に触れてこなかった人たちが伝える「部落のマイナスイメージ」をそのまま受けとめてしまって、「部落出身者=社会では差別される=出身を隠した方がいい」と考えてしまう人もいると思うのですが

  結局、どこまで隠しても、自分自身にはウソをつけない。いつ自分が部落だとバレるかと、ビクビクしながら人間関係をつくっていく方が、ほんとはしんどいんです。隠してしまうことで、部落外の人たちも部落問題を「遠くの話」「自分とは関係のない話」として受け止めてしまう。だから余計に、部落に対する情報はマイナスの情報しか入ってこない。そして無関心になる。

  でも、自分の友達や知り合いの人が部落の人だと知っていれば、無関心にはならないと思うんです。少しは自分事として考えてもらえると思うんです。部落出身ということが問題でなく、そのことを言えなくさせている周囲のまなざしが問題なんです。

  最初は部落問題に対して無関心であったり、マイナスの出会いをしていてもしかたない。でも、ボクはマイナスのまま終わってほしくないんです。部落との「プラスの出会い直し」をして欲しいと思っているんです。

---部落出身であることを肯定できたなら、成長して社会に出たときも差別に対して強くなれますね。もし、挫折しそうになっても帰っていく場所があり、相談できる人がいる

  誰だって、人には言えない、言うと「マイナスのまなざし」で自分が見られてしまうんじゃないか、ということを持たされて生きていると思うんです。でも、そのことをどこまで隠しても、結局は自分自身で、そんな自分のことを好きになれないし、ほんとうの意味で解放されずに、がんじがらめに縛られて生きてしんどいと思うんです。

  ボクはホンマもんの同和教育、解放運動をしている人たちに出会って、そんな自分自身を隠さず生きている人たちにすごく魅力を感じた。周囲の目や、世間体を気にせず、自分らしく生きている人たちとたくさん出会えて、自分もそんな生き方がしたいと思ったからこそ、今の自分があると思っています。

差別はする側に100パーセント問題がある

川口さん---「差別はいけない」と教えられていても「でも差別される方にも原因がある」と正当化するような言い方もありますが

  大人の社会では「差別」、こどもの社会では「いじめ」という。この「差別」と「いじめ」の仕組み、構造はまったく一緒だと思うんです。大人社会の「差別」の構造がそのまま、子ども社会の「いじめ」にスライドしているだけだと思うんです。

  よく、小中学校に講演に行って、生徒や先生からイジメの相談を受けるんです。その時に、「いじめられているその子にも原因がある」と指導している先生を見かけるんです。いじめられている子が「すぐ悪口を言う、約束をまもらない」とか「性格が暗い、きもい」とか。いじめられている子も、自分が悪いんだと思いこまされていく。

  これ完璧にアウトですよ。その子が「すぐ悪口を言う、約束を守らない」ということは、確かに人間としてダメなこと。それは直さないと、その子自身が大きくなって苦労すること。でもそれを理由に殴ったり、蹴ったり、無視したりして、いじめていい理由にはならない。その子の性格がどうであろうと、そのことでイジメを正当化できる理由にはならない。そこをハッキリ言い切って欲しいです。いじめる側が100パーセント悪いと。どんな理由があっても暴力・イジメを受けていい子は一人もいない。どんな理由があっても差別を受けていい人間なんて一人もいない。1パーセントでも、いじめられる側、差別される側にも原因があると思った瞬間に、いじめる側は自分の行為を正当化してくから。これを「差別の自己正当化」というんです。差別する人は、なんでもいいから差別する理由が欲しいだけ。

---逆に、ひどい差別の状況に心を痛めて「かわいそう」「何かしてあげたい」という人もいます

  ボクね、「かわいそう」という言葉、そのまなざしが大嫌いなんです。「かわいそう」って、自分が一段高いところ、タニンゴトの場所から、その被差別者を見てると思うんです。自分が足を踏んでおいて、そのことに無自覚でいて、「あの人たちは、かわいそうな人たち、がんばれ〜」と言ってるようなもの。「お前のその足をまずどけろ、一段降りろ」と言いたくなるんです。

  もう一つ、「かわいそう」って言っている主語をハッキリさせろと言いたくなる。誰が「かわいそう」って言ってるんやと。当事者に聞いたことあるんかと言いたい。当事者はそんなこと思ってないよ。そりゃ、ボクも差別を受けて、くやしい思いをしたり、腹立つことがあっても、自分のことを「かわいそう」なんて思ったことはない。イジメを受けて、差別を受けても、人間としての誇りだけは絶対に奪われてないよ。その中で、必死に生きてきたよ。

  結局、多数派の、世間のマジョリティのみんなが、被差別者、マイノリティーに対して、「あの人たちは、かわいそう」とマイナスのレッテルを貼っていく。そのうち当事者も、そんな世間のまなざしを感じていって、下を向かされていく。

  「かわいそう」と思う気持ちを否定している訳でなくて、そう思ったら一歩踏み込んで、その当事者と関わってと言いたいんです。そこからすごく学べるものがたくさんある。「かわいそう」と思っていた、自分自身が「かわいそう」と痛感させられるから。

---相手の立場になって考えてみるのも大切なことですね

  よく「相手の立場になって考えよう」とか言われるけど、この言葉も、なんか分かったようで、分からないような感じがするんです。相手の立場に立つまえに、まず自分の立っている位置を確認しないといけないと思うんです。部落外の人が、部落の人の立場になって考えるって、正直、限界があると思うんです。

  そうじゃなくて、部落外の人間として、自分は部落問題をどう考えるのか。健常者として「障害」者問題をどう考えるのか。「日本人」として在日韓国・朝鮮人問題をどう考えるのか。相手の立場になって、想像力を働かせて考えても限界があるし、「分かったつもり」で終わっていることが多いんです。まずは、マジョリティ・加差別者として生きていることの自覚、自分の中にある差別性を問い直すことが大事だと思うんです。

---「いる」のに「いない」ことにされていくマイノリティ・・・


 ボク自身、大学時代にゲイの後輩がいたんです。ボクは彼がゲイであることは卒業するまで知らなかったんです。ボクは彼に会うたびに「彼女できたか?」と言っていたんです。ボクが悪気なく善意で言っていたこの言葉。彼は「彼女できたか?」と言われる度に、自分がゲイだということをボクに言えなくなっていたんです。ボクは異性愛者で、そのことが「あたまり前」として生きてたし、自分の周りに同性愛の友達が「いる」なんて思っていなかったんです。結局、ボクが大学を卒業する直前に、彼がカミングアウトしてくれたんです。多数派で生きていること自体で、無自覚にマイノリティを抑圧していたんです。

  今は一人親家庭やいろんな家庭の子どもたちがいるのに、「両親」そろっていることが前提でモノを言う先生がいる。「家に帰って、お父さん、お母さんと話し合って下さい」とか、「父の日、母の日」に親の似顔絵を描かせるとか。その時に、このクラスにいろんな家庭の子どもたちがいるんだという認識があって、発言するのとの、「両親」そろっているのが「あたりまえ」というスタンスで言うのとでは、全然違う。

  この社会には、いろんなマイノリティの人たちが「いる」のに「いない」ことにされて、多数派の価値観だけで物事が進んでいる。そのことがマイノリティをものすごく抑圧していると思うんです。

自分自身が解放されていくから面白い。
部落外の人にこそ、同和教育・部落解放運動の面白さを伝えたい。

川口さんは婚姻届けを出さない「事実婚」をして、現在2人の子どもの父親でもある。パートナーは離婚をしてボロボロの時に、同和教育に出会い、彼女自身も「女らしさ」というものを背負わされ、前のパートナーとは対等な関係をつくれていなかったことに気付いていく。もう二度と結婚はしない、と心に誓っていた彼女が「この人となら対等な関係で暮らせるかも」と一緒に生活するようになった。

---解放運動の中で女性差別の問題も学んでこられたと思うのですが、実生活はどうですか?

  女性差別のことは、それまで学んでいたし、「自分は女性差別なんてしていない」と思っていました。でも、それはやっぱり頭の中のことで、本当の意味で「女性差別とは何か」を分かっていなかっただけなんです。コテコテにすり込まれたジェンダー(社会的性差)に気づいていなかっただけなんです。

  例えば、一緒に暮らすようになって家事や育児もボクはやっていたけど、心のどっかでは「手伝ってあげている」という意識がありました。家事・育児は女性がすることが「当たり前」で、パートナーをサポートするのが自分みたいない感じでした。子育てに関しても「誰の子どもなの!あなたの子どもでもあるのよ!」とパートナーから何度も指摘されて、ようやく気づかされました。

  いざ、夕食をつくろうと思っても、料理できるレシピが少ないんです。「やらない」のでなく「できない」んです。結局は、ボク自身、「女性差別反対」といいながら、頭でしか理解していなかったんです。今はパートナーとの対等な関係を目指して、日々努力しています。

---人権というと難しいですが、暮らしの中で知らず知らずのうちにパートナーを支配したり、主従の力関係が生じている、そのことに気づいて話し合うことができるって素敵ですね

  一緒に暮らすようになって分かることがいっぱいあったし、子どもが生まれてからは婚外子差別の問題にぶつかっています。

  これまで自分自身や仲間の結婚差別を見てきて、その背景に「家」と「家」との結婚という価値観がネックになっていること、そのことに矛盾を感じていました。その思想を支えているのが「家制度」「戸籍制度」。

  結婚したら多くの女性が男性の「籍(家)に入る」という価値観。結婚したら「嫁」として扱われる。女性差別や部落差別、婚外子差別を支えている「家制度」「戸籍制度」に縛られない生き方をしたいと思い、ボクたちは事実婚という形を選びました。

  昨年9月に赤ちゃんが生まれて、「出生届け」を出すときに、そのことで行政の窓口の人たちともめました。「正しい生まれでない子」という意味の「非嫡出子」というところにチェックをしなかったり、出生届けを出したのはボク本人なのに、届出人欄の「父親」にチェックを入れさせてくれない。そのことに抗議して最終的にはチェックを敢行したり、大変でした。

  どんな親の元で生まれようと、生まれてくる子どもには責任はないし、生まれ方で差別される社会がおかしいし、そんな中で婚外子差別と闘っている仲間とも出会えました。そういう意味では、うちの子は、親が「再婚」、女性、部落、婚外子とすごくマイノリティの要素をたくさん持っています。だからこそ、今の日本社会のいろんな矛盾がもろに子どもに降りかかってくるし、差別を支えている社会の仕組みに気づけやすくて、そのことを家族で話し合いながら、楽しく生きています。

---どうして、そこまで同和教育、部落解放運動に取り組むのですか。

 ボクは部落出身だから同和教育、部落解放運動に取り組んでいるじゃなくて、自分自身のためにやっているんです。「被差別者としての自分」からの解放と「加差別者としての自分」からの解放。そのどっちからも解放されたいと思ってやっているんです。

  同和教育、解放運動やっていくなかで、自分がちょっぴり解放されたときの喜び。初めて出会った人でも、世代や地域、立場を越えて、人間として深いところでつながれる楽しさ。それをもっと多くの人にも伝えたいし、味わってもらいたい。部落に生まれたから自分を誇りに思うんじゃないんです。部落出身ということを隠さず、反差別の生き方をしている自分を、今はちょっぴり誇りに思えるです。

「みなさんもボクと一緒に、本当の自分を取り戻しませんか?」

 

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プロフィール

 

 

1978年、愛媛県宇和島市の被差別部落に生まれる。小学6年の時、「ブラック差別」と勘違いして立場を知る。

中学時代、同和教育に本気で取り組む教師との出会いから、解放運動に取り組むようになる。高校時代は宇和島市内の部落出身高校生を集め「高校生友の会」結成、初代会長となり、大学生時代は大阪学生部落解放連絡協議会事務局長として活躍。

卒業後は、(社)部落解放・人権研究所啓発企画室、大阪市新大阪人権協会を経て、現在は山口県人権啓発センター事務局長。仕事の合間をぬって、執筆や全国各地で講演活動を行っている。

インタビュー・講演記録等

【出版物など】
『ハートで挑戦、自己解放への道!』(解放出版社ホームページ)

『INTREVIEW「部落出身」?12人の今、そしてここから-』(解放出版社、2003年)

「たいけん、はっけん、ほっとけん〜差別っていったいなんやねん?」(『2004年度京都府高校人権教育資料集第41集』)

「『たいけん→はっけん→ほっとけん』からのカリキュラム」(雑誌『解放教育』2005年5月号)

「ここが変だよ!人権教育〜若者からの熱いメッセージ〜」(雑誌『解放教育』2006年1月号)

『たいけん、はっけん、ほっとけん〜差別って いったいなんやねん?』(『季節よめぐれ』2005年6月 京都解放教育研究会)

「出会いをつくる〜見ようとしないと、見えないこと」(『わたし 出会い 発見Part6』2006年3月 大阪府人権教育研究協議会)

【ビデオ】
『部落の心を伝えたい』ビデオシリーズ第6巻 「差別って いったいなんやねん」(メディア総合研究所・2004年)

『私にとっての差別・人権』「部落青年のアイデンティティ」(大阪人権博物館 2005年)

 

川口さん

 

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