皮づくりの職人と三味線の演奏家。仕事はまったく違っても、「いい音色を出したい」という思いは同じ。當山さん親子のような職人さんが精魂こめてつくった皮が三味線として仕上がった時、演奏する人はどんな思いで弾くのでしょうか。関西で活躍する久保比呂誌さんに、三味線や皮に対する思いを話していただきました。

三味線に出会うまでは、ずっと洋楽をやってきました。大学ではピアノを弾いて、作曲をして。日本の音楽にはまったく興味がなかったんです。むしろ民謡なんかを聴くと「だっせー」と思っていました。
ところがある時、たまたま高橋竹山さん(初代)のレコードを聴いたんです。「うわあっ、かっこいい」と思いました。だから何も知らないまま、いきなり津軽三味線です(笑)。近所にあった三味線屋さんに教室を紹介してもらったのが、三味線とのつきあいの始まりでした。
高橋竹山さんの弟子にあたる人が、私の先生です。だから竹山先生のお話を聞く機会もあったのですが、「三味線はとにかく音色だ」とよくおっしゃっていました。
ピアノも弾く人によって音が違うということがあるでしょうけど、まあ、猫が乗っても音は出るようになっています。ところが三味線は、同じ三味線でも弾く人によって、あるいは精神状態によって、音が全然違うんですよ。何か大きな出来事があると、急に演奏が変わる人がいます。これが不思議なんですけどね。だから音を追求する面白さがあるんです。僕にも「いい音を出したい。音色だけで人を感動させたいな」という気持ちがあります。
ただ、人を感動させるような音色というのは、テクニックだけでは出ないんですよ。たとえば竹山先生のように厳しい差別をはね返すような暮らしをしてきてきた人の演奏というのには太刀打ちできません。テクニックはもちろん必要なんですけど、そこにその人の生きてきた人生がプラスされてくるから「うわあっ」と思うような音色が出るんです。
そんな、人の生き方が現れるような音色を出すには、やはり本皮の三味線に限ります。これも竹山先生の言葉なのですが、「三味線の本体は木や皮、糸が絹、コマが竹、バチが象牙やべっ甲・・・すべて命あるものから集められたのだから、いい音を出してあげねば」と。ほんとうにその通りだと思いますね。
最近は合皮の質もよくなってきてはいますが、三味線本来の独特な味わいや深みは本皮にはかなわない。これだけ合皮が出てきても、値段が高くて手入れも大変な本皮を使う人が多いというのは、やっぱりそれなりの理由があると思うんですよ。僕も雨が降ったり、屋外での演奏の時には合皮の三味線を使いますが、演奏会用の三味線には必ず本皮を張ります。
本皮の三味線はほんの少し、湿気を吸っただけで破れてしまいます。外で雨が降っていると、ドアを閉めておいても霧のような湿気が入り込む時があるんですが、そんな時は翌朝にはもう破れてしまいます。破れる時は一気に、「メリッメリッ・・・バリバリバリッ」と。初めてその音を聞いた人はビックリしますよ。
それから、やはり高い三味線ほどいい音が出るんですね。ですからちょっと張り込んで新しい三味線を買うと、とても気持ちよく弾ける。それでつい新しいのばかり弾いていると古いほうの三味線の皮がすぐ破れてしまうんです。嫉妬してるみたいに(笑)。つまり三味線というのは、弾かなくなるとすぐに皮がダメになる。使えば使うほど長持ちする。
バチの弾き方も本皮と合皮とではまったく違います。本皮だとバチに吸い付く感じがするんです。やっぱり皮と象牙・べっ甲という、同じ「生き物」同士だからでしょうか。なじむんですよ。そして弾いている僕自身とも一体感があります。これは合皮にはない感触ですね。
最近は電気三味線というものもありまして、若手の演奏家がステージで弾いているのはこれです。ところがこれも本皮なんですよ。僕も持っているのですが、電気なんだからどっちでも同じかなと思って、安い合皮を張ってくれるよう頼んだんです。すると「本皮でないといい音が出ないから」と合皮を張ってくれませんでした。いろいろ試した結果、合皮ではダメだとわかったそうです。
皮って生き物だなあとつくづく思います。不思議だなあ、と。音色に弾く人の人生が出るように、皮の歴史やつくっている人の思いを知ることで、また音の深みも変わってくるのでしょうね。