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障害者問題を考える

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 縁あって夫となった人には「障害」があった。あるいは、ある時、夫が発病して「障害」をもった。生活するうえで心配や気を配らなくてはいけないことはあるけれど、ふたりの関係は特別でも何でもない。けれど周囲からは特別な愛情や支えを求められる。愚痴や弱音を口にすると、過剰な反応が返ってくる。「なぜ、障害者の妻であることがこんなに苦しいのだろう」。そんな思いを抱いていた女性たちが集まってつくった「生糸の会(障害のある夫をもつ妻のネットワーク)」。彼女たちの経験から見えてくるものとは?

「障害者の妻」という立場から見えてくるもの

「生糸の会」の定例会は、第1土曜日の午後に開かれる。04年4月の定例会。午後いっぱい借りる会場に三々五々、女性が集まってきた。すっかり打ち解けたふうな人もいれば、初めての参加に緊張気味の人もいる。けれど、自己紹介が始まると、誰もが一人ひとりの話に真剣に聞き入り、深くうなずく。生活環境や障害の状況が違っても、そのなかで「妻」として感じること・考えることには共通する部分が多いようだ。ここで何人かの例を紹介しよう。

妻の“協力”あっての在宅勤務

「在宅勤務にあたっては、家族の協力が必要だと言われたよ」。
高橋雅子さん(39歳)は、夫にそう告げられた。夫は約10年前、脊髄小脳変性症(進行性の難病)と診断された。娘はまだ2歳だった。少しずつ小脳が萎縮していき、いずれは寝たきりになると言われている。それでも家族とともに暮らすため、夫は転職を繰り返しながら仕事を続けてきた。息子が生まれ、雅子さん自身も設計事務所や塾で講師として働き続けてきた。
  ところが夫の会社の移転が決まり、夫の通勤が困難になり始めたのである。会社の近くに引っ越すか、高橋さんが夫を車で会社まで送迎するか。夫婦で迷っていたこところに、会社から在宅勤務という提案があった。

 夫の体力や通勤途中での事故の危険性などを考慮してくれたうえでの申し出に、高橋さんは夫とともに喜んだ。しかし、自宅で仕事をするとなると、体の自由がきかない夫のために日常的なサポートが必要となる。「仕事をとるか、夫が働く態勢を整えるか。悩んだんですけど、まずは夫がきちんと仕事をできることを優先しようと、とりあえず自分の仕事を断念しました」と高橋さん。こうして決まった在宅勤務だが、実際に始まってみると、高橋さんや子どもたちに少なからぬ負担がかかってきた。

「まず、2階の子ども部屋を仕事場にするため、子どものものをすべて1階に下ろしました。夫が仕事に集中できる環境をつくろうと考えてのことです。それでも私や子どもはかなり神経を使うようになりました。子どもたちが騒ぐと気になるし、会社の人が来られたら接待しなくてはいけないし。夫は夫で、人と接する機会が減って愚痴も出てくる。やっぱり人と話したいんですよね。在宅で仕事をしていると、自分が関わっている仕事の全体像も見えないし。そんな夫の気持ちもわかるのですが、それぞれ思春期と反抗期の子どももピリピリしてるから、そちらもフォローしなくちゃいけない。私自身にもストレスがたまって身動きがとれない状態です。勤務が認められたことをラッキーだと思いながらも、家族の負担を考えるとため息も出ます」

 仕事とプライベートの時間があいまいになりがちなのも悩みだ。夫の仕事の区切りがつかなければ、家族の時間も制約される。特に雅子さんは、夫を残して外出すると、「事故が起きないか」と心配で落ち着かない。夫の仕事はパソコンを使っての業務で、仕事そのものはこなせるが、ちょっとした動作に介助が必要となる。しかしそれは「家族の協力」の名のもとに、事実上の無料奉仕というのが実状である。四六時中、夫と顔を合わせていることもあり、精神的に煮詰まってしまうことも。弱音を言える相手がいればいいが、他人にはなかなか理解してもらえない。かえって心配をかけると思うと、親にも弱気な顔は見せられないのである。

私は「透明人間」?

二人寄り添う写真 手話・指点字通訳者の光成沢美さんの夫は、視覚障害と聴覚障害を併せもつ全盲ろう者だ。夫のおおらかな人柄に惹かれて結婚した光成さんだが、結婚を境に周囲の目が大きく変わったという。目と耳に障害をもつ夫は、通訳者が手のひらを重ねて指に点字を打つという「指点字」を通して人と会話をする。読み書きには点字を使う。それまでも夫は大勢のボランティアの助けを借りながら仕事と自立生活をしていた。光成さんにとっても夫にとっても、結婚後もお互いが仕事を続けるのは話し合うまでもないこと。しかし光成さんが「妻」になると、光成さんが夫に対して行う通訳や介助は「あたりまえ」で、しなければ「奥さんがいるのにどうして?」という反応になるのである。

 あちこちの学校で講師として働いてきた夫が、地方の国立大学に職を得た時のこと。指点字通訳者を雇う予算がつかなかったため、迷ったが「とにかく夫が仕事を始めることが先決」と光成さんは自分の仕事を辞めて夫とともに地方に移り住んだ。
「夫は指点字通訳がなければ会話ができませんから、私がつきっきりで通訳しました。自宅にも仕事の電話がかかってくるので、1年目の生活の大半は、彼の通訳と介助に費やされました」と光成さん。通訳自体は苦痛ではない。プロとしての自負、自覚もある。だからこそ「私が一人前の働き手として周囲に理解されないということが一番苦痛でした」と光成さんは話す。

 働き始めた直後から、夫は大学側に通訳の予算化を訴える活動を始めた。応援してくれる人も多かったが、ある時、関係者の一人が夫に向かって言った言葉に光成さんは大きな衝撃を受けた。「仮に大学側が通訳者の給料を予算化したとしても、肝心の通訳者がいないと困りますよね」。つまり、目の前にいる光成さんを「プロの通訳者」とは見ていないのである。
「私は手話通訳者から指点字通訳者に転職したつもりで、報酬はもらえなくてもプロ意識をもって働いていました。でも周囲は、夫の仕事を手伝う“いい奥さん”として見ていたんだと知り、無力感でいっぱいでした」。その気持ちを光成さんは「透明人間になったみたい」と表現する。

「つらい」と言えないつらさ

 山咲くみさんは、先天性の脳性マヒという障害をもつ夫と3人の子どもたちと暮らしている。学生時代にボランティア活動をしていた時に、夫と知り合う。自分で介助ボランティアを探して自立生活をしながら、障害者運動の先頭に立って活動する姿に惹かれた。結婚によって日常の介助は山咲さんの役割になったが、当初は苦痛ではなかった。ともに働き、対等なパートナーとして支え合っているという充実感があったからだ。

 しかし乳児の育児は夫に望めない。出産を契機に仕事を辞めた山咲さんは、家のなかで育児をしながら夫の介助をするという生活にだんだん疲れを覚え始める。育児も介助も区切りがなく、するのが当然で、なかなか手が抜けない。子どもや夫に文句や愚痴を言うわけにもいかない。山咲さんは一人で苦しみ続けた。

寄り添う石の写真

「なんで私ひとりがこんなに大変なんだろうって。周りは、妻が夫の介助をするのは当たり前という感覚なんですよね。それで“大変ですね”“偉いですね”と言われても、“え、そうですか”としか言えない。“ほんとはこんなに大変なのよ”と言いたいけど、誰にも言えなくてずっと我慢してきました」。

 そんななか、夫が市議会議員に立候補し、今度は「議員の妻」という立場が加わった。「奥様、大変ね。でもご主人を支えてあげてね」「奥さんががんばらなきゃダメなのよ」。そんな言葉や視線を浴び、町中に夫のポスターが貼り出され、さらに3人目の子どもが生まれた。「障害者の妻」として、「3人の子どもの母」として、「議員の妻」として、愚痴も弱音も吐かずにがんばることを求められる。山咲さんは当時の自分を「壊れる寸前でした」と振り返る。

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