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パールがかったオフホワイトのカバーにグレーの文字。上品な装丁の本に書かれたタイトルは「口からうんちが出るように手術してください」。どういうこと?と思わず手にとってしまったのが運のつき?! 手足の自由が効かないために24時間介護が必要な小島直子さんが、多くの人を巻き込みながら自分の道を切り拓いていく話にどんどん引き込まれてしまう。笑いあり涙あり、そして「障害者」というカテゴリーでしか見ようとしない社会への怒りもあり、ズシリとした読後感を持ったまま、小島さんにインタビュー。著書へのこだわりから読者へのメッセージ、流行語ともなったバリアフリーへの思いや自立生活をするためのノウハウまで、幅広く話していただきました。明快かつ痛快な小島さんのメッセージを2回にわたってお届けします。

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強烈なタイトルですけど、小島さんが考えたんですか?

 はい、自分でつけたタイトルです。友達に、ある時「もし、ひとつだけ夢がかなうとしたら、どんな夢をかなえてもらう?」って聞かれたんです。彼女は「障害をなくしてほしい」と私が答えるだろうと思ってたみたい。だけど私は「口からうんちが出るようしてほしいな」って答えたんです。そしたら彼女はすごく驚いた。「自分が一生、歩けないってことを身体でも心でもちゃんとわかってるんだね。 でなければそんな言葉は出てこないよ。障害が全部なくなった方が楽じゃん」って。

 でも私にはもう「障害がなくなる」という仮定はまったく考えられないんです。というか、何が「障害」なのかすらよくわからなかったんです。今もそうですけど・・・( 笑)。それより現実問題として一番切実なのが、排泄のこと。だからほんとに神様がいるんだったら、うんちの始末が自分でできるようになることをお願いしたいな、と思ったんです。すごく真剣に考えたんですよ。どこからうんちをすればいいかなって。目から出すと化粧が落ちるとか、鼻からだったら鼻の下を拭かなくちゃいけないとか(笑)。でも口だったらうがいは一人でできるから、「あ、できるじゃん」って思ったの。

小島さんにとって一番切実な願いだということはわかりましたが、それをタイトルにすることに対して反対はありませんでしたか?    

 編集者は大反対。まず長すぎるって。タイトルにも売れるための法則があるらしいですよ。漢字5文字とか平仮名3文字とか。それから私の写 真を表紙にバーンと出そうという意見も当然あったけど、私は絶対に嫌だった。売ろうと思えばいくらでも「売れる本」がつくれたと思う。でも「感動本」にしたくなかったの。「売れない本」でありたいと思って、このタイトルと装丁にしたんですよ。ブームになるんじゃなくて、いろんな人たちが本当の意味で考えてくれる本になったら嬉しいなと思った。

 だから私なりのこだわりはたくさん詰まっていて・・・。カバーの色、橋口譲二さんに撮ってもらった写 真に構成。「私」という言葉を使わないで書いたのもそう。何が大変って、これが一番大変だった。編集者に「わかりにくい」とも言われたけど、むしろ誰の本を読んでるのかわからなくなるっていうのが私の狙いだったんですよ。「障害のある小島さん」の話じゃなくて、読んだ人が「これは自分でも変えていけることかもしれない」「私もバリアをつくってるかもしれない」というふうに、自分のこととして考えてくれるような本をつくりたいという気持ちがあったんです。そこから先は、もう誰がどう考えようが自由だと思っています。

でも売れることで、自分の思いがより多くの人に伝わるという面 もあるのでは?

 それは逆のバリアをつくってしまう危険性があると思う。買うだけ買って、一瞬感動して、わかったような気になってしまうという・・・。「そうかなあ」「こんなことってあるの」とひっかかりながら読んで、また5年、10年後にでも開いてもらえる本にしたいというのが私の思い。確かにブームになるメリットはありますよね。たとえば「心のバリアフリー」という言葉が流行ったことで、バリアは目に見えるものだけじゃないということにみんなが気付けたというのは事実です。でも気付いた後に何ができるかが大切。日常生活に戻ってくると、やっぱりハードの整備が先決だと私は思う。それに言いっぱなしで無責任にはしたくなかったの。いいことを言うのはすごく簡単なんです。

 私は「今、こういう暮らしをしていて、自分が生きてきたなかではこんな問題点がありましたよ」と提示だけしておいて、これから10年間はバーッと勉強しようと思ってます。今も大学に行ってるし、建築士の資格を取ったら、自分がハードの部分をつくる側に回ろう、と。つまり言うだけじゃなくて、つくる側の人間になりたいんです。それも今までは、まち歩きから図面 引きまで全部自分ひとりでやろうとしていたけど、やっぱり限界があるんですよね。一人よがりになっちゃうし。これからは、みんなを巻き込みながら、私も相手に巻き込まれながら、意識を高め合ってやっていきたい。

障害のある人からの反響はどうでしたか?

「私も同じような”障害”がありますが」というような反響があるかなと思っていたらそうでもなかったですね。面 白かったのが「私は便秘症なんです」とか「こんな薬がありますよ」といった「うんち関係」の手紙がすごく多かったこと。

 ちょっと驚いたのは、「障害」がある子どものお母さんからの手紙。「うちの子も、あなたのように自立した障害者としてまちのなかで生きていけるように育てたいのですが、どうすればいいのでしょうか」っていうのが結構来ました。

返事は書くんですか?

 書かないです。私と同じことをしたら、私のようになるとは絶対に限らないもの。生きてきた環境も違うし、時代の流れのなかでまちの動きや人の考え方もどんどん変化していますから。誰かにすがりたい気持ちもわかるし、人からヒントを得ることも大切かもしれない。だけど私は、本のなかで十分伝えたつもりだから。あとは「障害」がある子どもがほんとにやりたいことは何なのかって話し合ったり、それを実現するのにどんなバリアがあるのか、そのバリアは個人で解決できるのか、それともまち全体で考えてもらってみんなで解決していかなきゃならない問題なのか、というのを自分たちで整理することがすごく大切だと思うのね。私が生きてきたなかで強く感じるのは、自分自身で気付くのと、誰かに言われて気付くのとでは、深みと重みが全然違うということなの。自分の人生は自分で責任取るしかないんですよね。

 冷たい人と思われてるかもしれないけど、それでもいい。「小島直子なんか当てにならん」と思って、仕方なくでもいいから、その人が何かしら始めてくれればいい。そういう力を信じたい。反発をくらいそうだけど、私はほんとに優しくないんですよ。自分にも厳しいから、他人にも厳しいのかも。親や友達にも決して甘やかされなかったですね。だからこそ、今があるんですけど。

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