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「福祉・医療」
ハンセン病


5 「無らい県運動」とは何ですか。地方自治体や市民はどのように関わったのですか

 

「4 隔離政策はどのように進められたのでしょうか」で日本の隔離政策として「無らい県運動」が行われたとありますが、「無らい県運動」とは何ですか。また、地方自治体や市民は「無らい県運動」にどのように関わったのですか。

「4 隔離政策はどのように進められたのでしょうか」で日本の隔離政策として「無らい県運動」が行われたとありますが、「無らい県運動」とは何ですか。また、地方自治体や市民は「無らい県運動」にどのように関わったのですか。

 

「無らい県運動」とは、ハンセン病患者が自分たちの町や村に一人もいないことをめざして、ハンセン病療養所に入所させる官民一体となった運動です。戦前・戦後にわたって行われました。

 1930年、内務省衛生局は、「癩(らい)の根絶策」を発表します。ハンセン病を根絶できないようでは、真の文明国にならないと述べています。翌1931年には「癩(らい)予防法」を制定、そして1940年には厚生省(現在の厚生労働省)は、「患者収容の完全を期せんがためには、いわゆる無癩運動の徹底を必要なりと認む」という指示を各都道府県に出します。その結果、都道府県をはじめ各地方自治体は「無らい県運動」を展開し、競うようにして全国津々浦々で「患者狩り」を行い、ハンセン病療養所に駆り立てていきました。市民もこれに呼応し、「疑わしい者」を自治体に通報や投書をしています。

この運動では警察や保健行政機関をはじめ、学校現場、地域住民がハンセン病患者の発見、通報、収容促進の役目を担い、その過程でハンセン病は「恐ろしい伝染病」という誤った認識が社会に植えつけられました。そして、地域社会、市民にハンセン病に対する偏見・差別や忌避観が定着しました。その結果、患者は療養所以外に居場所を失い、またその家族までもが地域から排除され、差別を受けました。

*執筆協力:社会福祉法人恩賜財団大阪府済生会 ハンセン病回復者支援センター