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ふらっとへの手紙

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2011/09/02
ふらっとへの手紙 黒川美恵子さん vol.1


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(2011年7月13日/談)

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 石巻駅から車で15分ほどの高台にある「遊楽館」は、サッカー場、野球場、テニスコート、体育館、ホールなどを備えた市の運動・文化施設です。そのうち体育館が、「要介護3?5」のお年寄りの避難所になっています。
 私は、その遊楽館を拠点に活動する、日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)のフィールドコーディネーターです。

 遊楽館は、市内に何百もあった一般避難所の一つ。震災当日から、地震・津波に遭った人たちが、泥の付いた服で、あるいは自衛隊によって毛布にくるまれて倒れ込むように運び込まれてきました。避難者の人数を数えるといった状態ではありませんが、当初は少なくとも280人以上がいたようです。

 4月の初めごろから、市の方針で、遊楽館に介護の必要な方を集めようということになったのは、空調や衛生面の整った大きな建物だったから。そうすることによって、ケアがしやすく、医師や看護師ほか医療系のボランティアも集まりやすいとの判断です。ですので、今ここにいる人には、震災当日からの人も、他の避難所や、半壊などの自宅から移って来た人もいます。
 なぜ、私がここにいるのか。自己紹介からお話ししますね。

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 看護師です。東京と、故郷・秋田の病院で、合計6年間、臨床経験があるほか、発展途上国でも働いてきました。
 東京の病院を退職した後、イギリスの語学学校を経て、JICAの青年海外協力隊でコロンビアに行ったのが最初です。心臓の手術が必要な子どもたちのために活動するNGOに派遣され、2年間働いたのですが、お金がないために、お母さんに抱かれて死んでいく子どもたちの姿を目の当たりにして、「お母さんと子どもって、大事」と思った。帰国して、日本で看護師をしてお金を貯めてから、国際協力・開発のサイトで求人を探し、次はケニアにきました。

 ケニアは、HIVに感染している人が非常に多く、子どもの感染率も高いんです。子どものHIVの薬を買うために、必死で働いて、お金を稼いでくるお母さんがいっぱいいた。中には、売春して、稼いでくる人もいる。そんな状況を知って思ったのは、女性が教育を受け、病気にならない知識を得、お金も稼げるようになって発言権を持たなければ、状況は改善されないだろうということ。途上国の女性が生きるためのお手伝いをしたいーー。それには、社会学と女性学を併せた「女性社会学」の分野を勉強しなければと思ったんですね。それで、SRH(Sexual &reproductive health= ジェンダー学、産婦人科学、性教育、性感染症などの総称)を学ぶために、昨年の夏から、イギリスのリヴァプールの大学に留学しました。途上国で働くためのクラスに入り、14人のクラスメートは、アフリカやノルウェイから来た人が多かったんですが、私以外にもう一人、日本人がいた。日本プライマリ・ケア学会の産婦人科医。仲良くなったんですね。

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 3月11日の震災の日も、リヴァプールにいました。家や車が津波に流される映像が繰り返し流れるインターネットの報道で、「東北全域が壊滅状態だ」と。秋田の実家が心配で心配で……。実家に連絡がついて、無事だと知るまで、3日かかりました。

 クラスの終了日は3月31日。論文を書き上げ、クラスメートの産婦人科医と「何かしなくちゃ」と、そればかり話していたのですが、日本プライマリ・ケア連合学会が、緊急支援PCATの活動を始めると知って、4月7日に帰国。その足で東京の本部に行き、「事務でもボランティアでも、何でもお手伝いしたい」と申し出たんです。

 産婦人科医と話すうちに、「被災地には妊産婦も子どももいるだろう。困っている人もいるだろう」とイメージしました。PCATにも同じ発想があり、「じゃあ、ニーズ調査に行ってください」となり、4月11日から5日間、もう一人の医師と3人で、ボランティアで石巻に入りました。石巻になったのは、PCATが東北で活動拠点を置いている3つの町の中で、被災地としてのダメージが最も大きかったからです。

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 東京から、バスで石巻に入りました。仙台にはふつうにおしゃれした人がいるのに、石巻の被災地に入った途端、瓦礫の山。そのギャップに驚き、ショックでした。「なんでこうなっちゃったんだ」と思う間もなく、調査をスタート。
 震災からちょうど1か月経っていたわけですが、市役所は機能していなかった。それまでのコミュニティがバラバラになり、赤ちゃんの出生届も、母子保健手帳もどこに行ったか分からない状態で、助産師さんも保健師さんも、莫大なペーパー作業に追われ、テンパっていました。

 私たちは、避難所や半壊の家を回るローラー作戦で、人口調査、ニーズ調査をしました。避難所にも半壊の家にも、不安を抱えている妊産婦も赤ちゃんもいて、パニックになっていました。どこに何人いて、今、何が必要かーー。
 一方、医療機関を調べると、沿岸部に石巻市立病院、内陸部に石巻日赤病院があった、前者は壊滅し、後者は緊急支援でごった返している。産婦人科の開業医は6軒あったうち4軒が廃業し、残る2軒のうち、お産を取り上げているのは1軒だけ。つまり、妊産婦が頼れるのは、日赤病院と、産婦人科1軒だと分かりました。

 妊産婦さんたちと病院をつなぎ、交通手段の情報も伝え、「大丈夫よ」と安心させてあげたい。そのために、把握したデータを東京に持ち帰り、アセスメント(評価、査定)。後に、妊産婦さんに携帯電話を登録してもらい、石巻日赤病院の先生から、診察や検診の日程や、ミルク、オムツの配布、病院往復のタクシーが無料になる等について,随時メルマガを発信してもらうと共に、妊産婦さんと先生が直接コンタクトをとれるようになるのですが、私は、いったんそのプロジェクトから降りることになりました。石巻の現場のコーディネーターをすることになったからです。



関連リンク:日本プライマリ・ケア連合学会東日本大震災支援プロジェクト(PCAT)

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