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高齢者

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2003/04/04
どんなに身体が不自由になっても、その人らしく暮らせるように手助けするのが「介護」じゃないですか?


高齢者の生きる気力を引き出す「高齢者用具」や「介護」の相談を始めて15年になる浜田きよ子さん(52歳)。「身体が不自由になった高齢者を『介護』という方法論だけで片付けるのではなく、一人ひとりの高齢者がいかにその人らしく生きられるかを大事にする社会であってほしい」と活動を続けています。年を取って身体が不自由になったからと、それまでの生活のイメージを手放してしまうのではなく、いつまでも自分らしく暮らしたいと高齢者が思えるような社会づくり。2回目の今回は、当たり前のことのようで、これまで実践されにくかった「介護のあり方」についてお聞きしました。

どんなに身体が不自由になっても、その人らしく暮らせるように手助けするのが「介護」じゃないですか? 高齢生活研究所 浜田きよこさん(後編)

私は、介護で大切なのは「対等性」じゃないかと思うんです。介護というと、「どういったお世話をするか」といった方法論で語られがちですが、もっと大切なのは、どんなに身体が不自由になっても、人間同士としての関係は対等であるということです。
それをお世話する人と、世話される人に分けてしまうと、される側は気兼ねばっかりして生きていかなきゃいけない。その人らしく生きるかたちが壊れかけたときに、それをもう1回作り直していけるように、同じ視点に立って手を貸すだけのこと。身体の機能は衰えても、人としての関係は対等であるべきなんです。ただ、寝たきりになった人のなかには、それまでの自分らしい生活を手放し、あきらめてしまう人もいるけれど、その人がもう一度起きてみたいと思うような周りの人たちの努力も必要だと思います。

待っていてくれる人や仕事があれば、力を発揮できる

「高齢生活研究所」としても、「身体が不自由になった高齢者の問題を『介護』という言葉だけに集約してほしくない」と言い続けてきました。たとえば、寝たきりになった人にとって介護は必要条件ですが、生きていくための十分条件ではないわけです。
身体機能が衰えてオムツは交換してもらわないといけないけれど、それだけでは自分らしく生きてはいけない。仮に私がそうなった場合、そんな私でも待っていてくれる人がいたり、話し相手がいたり、自分のしたいことがあったりするわけです。でも、今の社会では「介護すれば事足りる」というシステムしかない。これからは、社会全体の意識として「介護」ではなく「暮らし」というテーマでとらえ直す必要があるのではないでしょうか。

「自分を必要とされる場所があって嬉しい」と岡田スエさん
「自分を必要とされる場所があって嬉しい」と岡田スエさん

そうした考えの一環として研究所のスタッフに加わってもらっているのが、78歳の岡田スエさんです。2年前に私の講演に来てくださって、その日に「ボランティアでもいいから働きたい」とご自分で申し出られた方。ご主人を看取られた後一人暮らしで、両膝が人工関節のため足が不自由なんです。でも、介護や入院の体験を活かしてピアカウンセラーとして働いてもらえればと、安いお給料ですけど、週2回来てもらうことにしました。今はアンケートの整理やお手紙の返事なども担当してもらっています。
高齢者としてではなく、私たちと同じ仕事をする大先輩としてやってもらっていることで、自信をつけていかれ、どんどん元気になられましてね。それまでは「朝起きて掃除と洗濯をしたら、出かけるのはリハビリに行くぐらい。自分を必要としてくれる場所がなかったのが、ここではみんなが待っててくれて、自分のできる仕事がある」とおっしゃて、今では週4回来てもらっています。岡田さんの存在だけで研究所に奥行きができて、相談者の方も御年配の方だからと安心してくださる。経験の少ない若い人に相談するより、ずっと重みがある時もあります。
こんな当たり前のことがすごく大事なんだなと実感できて、今後はもっと雇用できればと考えています。そういう意味でも高齢者の力をもう一度考え直すべきなんですよね。

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