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2003/08/22
「見守りの介護」がピンチをチャンスに変えてくれた


アルツハイマー病の妻・君子さん(78歳)を介護して15年になる京都市の医師谷口政春さん(79歳)。谷口さんがこの病気に「記憶泥棒」と名づけた通り、すでに記憶も、言葉も失い、寝る機能までを奪われてしまった君子さんだが、妻を見る谷口さんの表情は温かい。「この病気ですら、心と感性は奪われない」と静かに微笑むのだ。ピンチと失敗の連続だったという介護のなか、困ったら「助けて」と声をあげることで介護の本質を学び、その喜びから感動をくりかえし体験してきた。「妻がそばにいることが私の支え。自分のために介護をしているというのが本音かもしれません」。

「見守りの介護」がピンチをチャンスに変えてくれた堀川病院元院長 谷口政春さん

谷口さんの朝は早い。妻のすべての生活機能が奪われた今は、日の出とともに抱えて起こすことから1日が始まる。1~2時間をかけて朝食を作り、介助時間も含めて約1時間の2人の朝食。その後、オムツ交換をして、寝たきりにならないようにと毎日手をつないで散歩に出る。大便の出る日は、その後に入浴。すぐに昼食、続いて夕食の時間がやってくる。就寝時間になると、また抱えて寝させる1日だ。

妻の病気がわかったのは、私の定年退職を目前にした15年前。「泥棒に財布を取られた」と、職場である病院にたびたび電話をしてくるようになり、買物に行けば何回も同じものを買ってくる。冷蔵庫にも食卓にも棚の上にも、鯛の刺身が並んだことがありました。アルツハイマー病と診断された時はさすがにショックで、ドイツの医学者アルツハイマーが最初に報告した女性が4年半で亡くなっていることから、妻もそれだけの命かと覚悟をしました。
結婚して47年、2人の子どもはすでに独立しています。妻は特別の病院嫌いでしたし、私も妻のいない一人暮しは考えられず、介護は「在宅ケア」と決断。ところが、私は医者とはいえ、介護の知識はゼロ。もう失敗の連続、ピンチの連続でした。

天使のようなヘルパーさんに教わった「介護のイロハ」

ヘルパーさんとの「連絡ケアノート」は15冊目。毎日の「生活の記録ノート」は26冊にもなる。
ヘルパーさんとの「連絡ケアノート」は15冊目。毎日の「生活の記録ノート」は26冊にもなる。

病院に顧問として残った私は、土・日曜日以外は仕事です。平日は近所の人や妻の友人に助けを求め、休日には痴呆の進行を少しでも遅らせたいと、外に連れ出すことから始めました。散歩や花見をはじめ、南座で芝居や顔見せを観たり、音楽を聞きに行ったり。旅行にも行きました。
でも、土日だけのケアは、私の自己満足にすぎなかった。妻は、白内障で趣味の洋裁や彫刻ができなくなったことも重なって自信をなくし、不安から活動意欲も失って、窓辺にすわり「もう死にたい」と言うようになりました。しかも平日、放置していたことで、そのツケが「徘徊」という形で表れるようになった。私を探して7キロ離れた病院まで歩いてきたことも何度もありました。発病3年目の最初のピンチでした。

それからは草津に住む娘が週2回来てくれることになり、残り3回はホームヘルパーさんを頼むことになったんです。私が仕事で留守にするのは4時間。ヘルパーさんとは3時間契約で、直接顔を合わせることができないため「連絡ケアノート」を作り、最初のページに「話し相手を期待します」と書きました。ヘルパーAさんは、とても優しいうえ、ほめ上手のおだて上手。妻と一緒に買物に行き、散歩に行き、一緒にそうじをして、退屈させなかった。連絡ノートには楽しそうな毎日の出来事が書かれ、ヘルパーさんの人柄が伝わってきました。
また、ヘルパーさんが一緒に歌ってくれることで、妻は唱歌を次々と覚えました。私が帰宅すると一緒に歌おうと歌集を持って来るようになり、2人で合唱するのが日課に。妻は日増しに明るくなり、元気が出て、生き生きとし始めました。ヘルパーさんは、まさに「天使」のような存在でした。

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