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2005/05/13
長生きは授かりもん。感謝して、これからも日々勉強です。


102歳にして今なお現役の黒田久子さん。受刑者の社会復帰を助ける全国最高齢の篤志面接委員である。これまで47年間に重ねてきた面接は、約3000回。80歳以上も年齢の離れた若者に、孫の幸せを願う祖母のような気持ちで向き合ってきた。まだ女性の地位が確立していない時代から率先して数々の奉仕職をこなし、地域の人々に親しまれてきた黒田さんにとって、その生涯にふさわしいライフワークである。

長生きは授かりもん。感謝して、これからも日々勉強です。姫路少年刑務所篤志面接委員 黒田久子さん

明治36年、姫路生まれの黒田久子さんは現在102歳。姫路少年刑務所の篤志面接委員を始めたのは、昭和32年の54歳から。それ以前にも、47歳で抜擢された姫路城陽地区婦人会会長を皮切りに、49歳で民生委員、51歳で保護司、そして面接委員と平行して、69歳からは姫路市人権擁護委員、80歳で姫路城を守る会の婦人部を結成、86歳にして姫路市連合婦人会会長を務めてきた。明治、大正、昭和、平成の4時代を行動力とアイディアで生き抜いた人だという。

大学教授をしていました夫の関係で、水戸、甲府、岡山、大分と共に転勤。終戦で神戸大学に戻れることになり、昭和20年に姫路に帰ってきました。ところが、空襲で我が家は焼け落ち、手の施しようもない有様。甲府で生まれた4人の子どもがいましたんで、家も直さなあかんし、服も着せなあかん。がらくたを片付けながら、大豆を蒔いたり、野菜を作ったりと、生まれて初めての農作業にも精を出しました。そんな時期で人のお世話などできないと思うてましたが、あっちこっちから断っても断っても人が来られて、「婦人会の会長になってくれ」と頼まれるんです。いちばん初めは、そりゃ私も夫に遠慮しましてね。「何回も頼まれて困るんや」と相談すると、「子どもも大きくなったから、受けたらどないや」と言うもので、お受けしました。夫は自分でそう言うたもんやから、後で小言も言えません。
篤志面接委員もそんな風に皆さんに勧められて始めました。他の民生委員や保護司などは定年がありますけど、面接委員は定年がございませんで、いまだにやっております。夫が定年を前にに亡くなったのは、私が57歳の時。それからは夫の分も社会の役に立つ仕事をしたいと続けてきました。

イギリスで始まったとされる篤志面接制度。日本では、再犯防止も含め、受刑者が安心して社会復帰できるようにと昭和28年に導入された。法務省の委嘱を受けて行われるボランティアで、受刑者の悩みの相談や、法律相談、職業相談、書道や短歌などの趣味・教養の指導などが行われる。委員は民間の学識経験者や宗教家などから選ばれ、現在、全国の刑務所や少年院などの矯正施設で約1800人、姫路少年刑務所では9人が活動を続けている。受刑者の出所後の生活相談にのる黒田さんの勤務は隔週の月曜日。刑務所内の6畳ほどの面接室が仕事場になる。

我が家は姫路駅の南側。少年刑務所には2週間に1回、バスに乗り継いで通っています。たまにタクシーで来たりすると、運転手さんに「入っとられるんは、子どもさん?お孫さん?」って聞かれるんですが、私が「いいや、勤めとるんです」と言うと、キョトンとされてます。
面接委員を50年近くしてますと、世の中が悪うなったと感じます。犯罪かて違います。終戦後は母子家庭が増え、貧しいがための犯罪ばかりでしたけど、今は変わりました。犯罪が複雑になり、覚せい剤も増えています。もうついていくだけで大変。日々、勉強です。昔はね、暴力団に入って小指の先を落とした子が多かったです。「親からもらった大事な指をなくすとはどうゆことや」とよう叱っていましたが、今はもうありません。
1対1で向かい合いまして、1日で3人ほど面接します。前もって資料を読んだりはしません。先入観をもってしまいますから。

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