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アルツハイマーは人生の最後に母が神さまからもらったプレゼント 映画監督 関口祐加さん

2015/07/24


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「笑い」で本人の苦しみや不安を和らげる

 母にはトラウマになっていることがあった。実母が認知症になり、娘である自分を忘れたこと。それだけに、自分は絶対にボケたくなかったのだ。だから、認知症初期の頃、母は家族を忘れるのが怖くて、確認のため頻繁に「どなたさん?」と聞いてきた。関口さんは、そんな母の気持ちを察知して言葉あそびで母を安心させた。

 母が「どなたさん?」と聞いたら、私はいつも「隣のおばさんで〜す!」と答える。姪っ子は自分が大好きな「レディ・ガガで〜す!」と答えて、「おばあちゃんは?」と聞き返す。すると、母は「レディ・ババで〜す!」と答えて、みんなで「ガハッハー!」と笑っておしまい。顔なんて忘れたっていいよというメッセージを送り、母の不安を一瞬でも紛らわせる戦略です。本人が落ち込んでいる時こそ、家族の対応が大切なんですね。

 関口家は体に「笑い」を持ってるんですよね。息子に「君のお母さんは、君が百点を取るよりも、お笑いを取れる人間になってほしいと思っている」というと、「分かってるよ、母ちゃん。百点はガリ勉すれば取れるけど、笑いを取る方がずっと難しいんだよ」って言います。でも、息子も関口家の血を引き継いで明るく面白いので、すごく嬉しい!
 真の笑いは自分を落として笑えるかどうかなんですよ。自分を落とせる人間になるには、本当の意味で自分に自信がないとダメ。コンプレックスの強い人間に育つと、自分を落とすなんてできないですから。笑いは深いんですよ。戦略の裏にあるのは、認知症になっていちばん不安なのは本人だという理解と、だから笑いを取り入れて本人の苦しみや不安を和らげてあげようという考え方なんです。

 認知症の人には心の安定が本当に大事です。だから、たとえばですが、私は母の部屋を勝手に片づけたりしません。母の部屋は母の領域だという認識です。そこに踏み込まれたら、誰だってイヤでしょう。母の立場に置き換えれば、すぐに分かるはず。また母は、お風呂に入るまで3年半かかりましたが、介助していただく訪問看護師さんと信頼関係を築く期間だったと思うんです。
 介護者が本人のペースに合わせて「待つ」ことは確かに大切ですが、その間にいろいろと手も打たなければいけません。創意工夫して本人を尊重しつつ、本人にも分からない幸せへの道を探る。認知症ケアは高度なスキルだといわれる所以ですよね。

 今、お世話になっている訪問看護師さんは、もう1人加わって2人で交代制になりました。他にヘルパーさんや介護福祉士さんたちそれぞれが母に対してに適材適所で対応してくれる。それは映画を作る時も同じで、監督のアイデアをカメラマンが画にしてくれ、編集マンが編集してと、いろいろなスタッフが関わり、いろいろな人の意見があって初めていい映画になる。母のケアもまったく同じで、いろいろな人に助けていただき、いわゆる関口チームを作るんです。そうすれば一人で抱え込んでいる介護と違って、辛くはならないですよ。