ふらっとNOW

部落

一覧ページへ

2001/02/03
識字学級 奪われた「文字」を取り戻すために


現代の日本に、文字の読み書きができない人たちがいることをあなたは知っていますか。そして、日々の生活のなかで文字が読めない、書けないことがどういうことなのかを想像できますか。「世界一の義務教育普及率」を誇る日本で、就学年齢をとうに過ぎた人たちが文字を獲得するために懸命に学んでいる現実があるのを知ってください。
学ぶ機会を奪われて

被差別部落に生まれ育った人のなかには、差別による貧困のため学校に通えなかった人が大勢いる。学校へ通えなかったということはすなわち、学ぶ機会を奪われたということだ。'82年に大阪で行われた部落実態調査と、'80年の全国調査の学歴構成を比較してみると、部落の不就学者の割合は7.4%。これは全国平均0.3%の24倍以上にあたる。まったく読めない、書けない、あるいはかなり不自由な人は8.2%。地域の一割近い人たちが読み書きに不自由している。これは大変な数字である。
それでは差別による貧困とは、どういうことなのか。被差別部落の人々は、歴史的に職業を選ぶことを許されず、過酷なうえに低賃金の仕事を担わされてきた。経済的にも精神的にも身体的にも、余裕のない生活を送らざるを得なかったのだ。食べて行くのが精一杯の生活のなかでは、子どもも重要な働き手である。親の仕事の手伝い、炊事、洗濯、幼いきょうだいたちの世話・・・やらなければならないことはいくらでもあり、学校は常に後回しだ。たまに行くことができても、もう先生の話がわからない。「学校へ行きたい」「友達といっしょに遊んだり、勉強したい」という素朴な願いはかなえられないまま、やがてあきらめとなり、時には読み書きができない自分を恥ずかしく思う気持ちへと変わってゆく。
繰り返される悪循環を断ち切るために

紙谷房子さん(52歳)は、富田林市立解放会館の識字学級に通い始めて10年以上になる。7人きょうだいの末っ子として生まれた彼女が物心ついた頃から見てきたのは、仕事がなく朝から酒を飲む父と、目を患いながら力仕事をする母の姿だった。 小学2年生の時に、父が死亡。その後、母が始めたこんにゃくの行商の手伝いをし、家計を助けた。小中学校を卒業はしたが、実際にはほとんど通学できなかったため、十分な読み書きはできないままだった。やがて結婚し、5人の子どもの母親となる。 ところが・・・。 「子どもが学校からもらってくるプリントが読めなかったんです」
情けない思いをしていたところへ、同じムラに住む人から「いっしょに識字学級へ行こう」と誘われた。以来、ほとんど休まずに通い続けている。小学1年生くらいだった読み書きの力は今、5年生のレベルに。新聞を読み、自分の思いを文章に綴り、人前で自分の意見を堂々と言えるようになった。講師のひとり、鈴木佳武さん(64歳)は言う。 「最初は人前でしゃべるというだけで震えてたけど、字を覚えて文章を書けるようになるにつれて自信がついてきたんやね、発表する力もついてきた。表情も、最初の頃と今とでは全然違う」
識字学級へ来るのが楽しくて仕方ないという紙谷さん。子どもたちが成長した今も、こつこつと学んでいる。
母の思い出と私
12
関連キーワード:

一覧ページへ