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障害者

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2000/01/22
素直な気持ちを伝え合うのが、コミュニケーションの第一歩です。


朝日新聞の連載エッセイ「出あい・ふれ合い」('00年4月~9月)が好評な久保田真弓さん。関西大学総合情報学部でコミュニケーション論を教えている久保田さんに、障害をもつ人ともたない人との間にあるコミュニケーションギャップや、より よい関係を築くためにはどうすればいいのかなどを2回にわたってお聞きします。
留学や研究などでアメリカや東南アジアをはじめ、いろいろな国へ行く機会がありますが、日本と海外とでは障害者と健常者のコミュニケーションに大きな違いがありますね。
たとえば少し前に話題になったTVドラマ「ビューティフルライフ」。車椅子の女性と健常者の男性との恋愛ドラマですが、そのビデオを授業の教材に使ったんです。「コミュニケーションの視点で分析しましょう」と。ところが、「車椅子の女性が登場する恋愛ドラマ」という理由で、「嫌だ」「見ていられない」という学生が何人かいるんですよ。
今、学んでいることを応用して考えればいいんだけれど、それ以前に抵抗があるんですね。車椅子の人をどう受け止めていいのかわからない、そんな世界を見たこともないし、見たくもない。自分に何かを突きつけられているような葛藤を感じてしまうのかもしれません。

'80年に青年海外協力隊に参加し、理数科教師として西アフリカのガーナへ派遣されました。イスラム教徒もいる国で、左手は不浄とされているんです。でも私の右手は2歳の時に事故に遭って以来、肘から下は義手なんですよ。そこで最初の日に「私は右手が使えません。すべて左手を使うのでよろしく」と説明しました。すると一番前に座っている子が「マダム、左手しか使えないのに、どうやって時計をはめるんですか」って質問してくるんです。実際にやって見せたんですけど、みんなとの距離がぐっと近くなった気がしました。私にとって、こういう質問はとても面白くて楽しいものです。いっしょにガーナに派遣されていたアメリカ人のボランティアには、「たまには右手も洗えば?」って言われました。義手を洗うのを忘れてしまって、埃がたまっていた時のことです。
こんな質問や言葉は、日本では出ませんね。遠慮しているのか、見て見ぬふりをするのがいいと思われているのか。でも私にしてみれば、義手を見せたり、実際に動作をやって見せたりして、「ああ、わかった」と納得や理解を得る方が嬉しいんですよ。

コミュニケーションは言語と、うなずきやジェスチャーといった非言語とに分けられます。コミュニケーションの定義はいろいろありますが、たとえば話し合いの場で、相手が何を言おうとしているのかを理解し、それをどう判断するかを決めるのは聞き手なんです。話し手がどんなに熱意を込めて自分の思いを伝えても、聞き手の価値観や世界観が入った解釈がなされます。話し手の意図が100%は伝わらないし、それが普通なんです。しかも話が抽象的になればなるほど、聞き手に都合のいいような解釈や意味づけをされてしまうんです。
障害者と健常者の間にも、同じ構図があるんじゃないでしょうか。だから健常者がコミュニケーションのギャップを意識しておかないと、障害者をステレオタイプな視点でしか見られない。「かわいそう」とか「がんばっている」とか。それが「壁」になるんですね。

青年海外協力隊に入隊すると、昔は泊まり込みで3ヵ月間の訓練があったんです。最初の1ヵ月は6人部屋で共同生活をするんですけど、私の右手が不自由なことはすぐにわかりますよね。すると同室の人がものすごく気を使って。「あなた、それしなくていいわ」「掃除は私がするわ」って・・・。みんなはそれぞれ一言ずつだけど、私は5人から言われることになるでしょう。役立つために訓練を受けているのに、「何もしなくていいから」と言われる。「私はなぜここに来たんだろう」って、とてもつらかった。
つまり、私の「枠」を周りが決めていたんですね。最初は私もわけがわからないまま「はい、はい」って言ってましたが、どんどんストレスがたまりました。無下に「いいから放っておいて」と言ったら、相手には私の真意が伝わらないでしょう。「何もできないと決めつけられるのはつらい」ということを、どう言うかが難しい。まあ、一週間もすればみんな忙しくなって、私に気を使う余裕もなくなりましたけど(笑い)。

障害があろうとなかろうと、性格は人それぞれ違います。その人が持っている障害ではなく、その人自身を見るのが大事。短い間なら、我慢できるかもしれません。「かわいそうなんだから」「一週間だけなんだから」と。でも職場やご近所、まして家族や友人ともなると、我慢にも限度があります。言わないと伝わらないことって、たくさんありますよね。言ってもダメなのか、話し合いで解決できるのか。とにかく言ってみないとわからない。長くつきあえばつきあうほど、言葉で伝えることがとても大切なんです。それが人とのかかわりの第一歩です。

「気の毒すぎる」「見ていられない」と目をそらしたり、「大変なのにがんばってる人がいる」で終わってしまうというのは、やっぱり「よそごと」としか受け止めていないということ。だから自分はどうしたらいいのかと、どこかで「自分のこと」としてつなげていく必要があるんじゃないでしょうか。わずらわしいこともあるかもしれないけど、面白い発見もきっとありますよ。

(次回へつづく)

久保田真弓 (くぼたまゆみ)
関西大学助教授

'78年、東京理科大学数学科卒業。高校教師を経て'80年、青年海外協力隊に参加。理数科教師として西アフリカ・ガーナへ派遣される。帰国後、後輩の指導に従事するうち、文化とコミュニケーションの問題に興味を持つ。その後、渡米し’91年、インディアナ大学大学院博士課程修了。現在は関西大学総合情報学部助教授。専門はコミュニケーション論、非言語コミュニケーション。主な研究論文として、アメリカ人と日本人のうなずきや相槌に関する言語と非言語面からの比較および、途上国における「開発と女性」関連がある。
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