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障害者

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2002/12/27
「いのち」そのものを脅かす障害者への差別


障害をもつ人が社会に向けて発言したり、元気に街を歩いたりすることが、ごく当たり前のこととして受け止められるようになってきました。多くの人が「バリアフリーは進んでいる」と感じているかもしれません。でも、本当にそうなのでしょうか。「差別はいけない」「バリアをなくそう」という言葉にうなずく人は多いでしょう。ところがそれが具体的にどういうことなのかをじっくり考える機会は意外にありません。「障害者」として、女性として、そして現在は自分と同じ障害をもつ娘・宇宙(うみ)ちゃんの親として、さまざまな差別や抑圧を受けてきた安積遊歩(あさか・ゆうほ)さんに、「バリア」の本当の姿とその背景にあるものについて、二回にわたってうかがいました。

「いのち」そのものを脅かす障害者への差別 安積遊歩さん

「自分を荷物だと言ってみろ!」

街で障害をもつ人を見かけることが珍しくなくなり、バリアフリーという言葉が広く知られるようになって、少しずつ社会の空気が変わってきたのは感じます。これは私たちが外に出てきたおかげ(笑)。長い間、障害をもっている人たちは親元や施設でひっそりと隠れるようにして生きていたから、多くの人は障害をもつ人を見かけることもなかったでしょう。でも隠れている限り、社会は変わりっこないんですよね。
26年前、初めて車椅子で駅のエレベーターを使おうとした時、「これは荷物用のエレベーターだ。使わせてやる代わりに、自分のことを荷物だと言ってみろ」と駅員に言われたのね。今はそんな露骨な差別をする人はいなくなりました。
今朝も道を歩いていたら、「車椅子の方が通るので、ちょっと待ってください」と幼稚園の先生が親たちに言ってるの。「車椅子」でも「車椅子の人」でもなく、「車椅子の方」という言い方をするのを聞いて、変わってきたなと思いました。

家族として受け入れられるかどうか

安積遊歩さんの写真 東京へ出てきたばかりの頃、最初に介助者になってくれた大学生は駅の階段で「車椅子が上りますから手を貸してください!」って叫ぶんです。なんとも言えない気持ちで聞いていたんだけど、3回目に「車椅子というモノが意思をもってるんじゃない。車椅子に乗っている"私"の意志だということをちゃんと言ってほしいよ」と話したんです。最初はキョトンとしていたけど、後で気付いて「ごめんね」と言ってくれました。
まあ、今だって同じようなことはしょっちゅうあります。私たちは転換期にいるんでしょうね。ある人の心のバリアは低くなっているでしょうし、ある人は変わらないし・・・。でも全体的に心のバリアが低くなってきていることが少しは実感できる時代。
でも、たとえば「車椅子の方が・・・」と言っている人でも、自分の息子が障害をもつ人と結婚したいと言い出したり、自分の娘が障害があるとわかっている子どもを産みたいと言い出したら、ていねいな言葉なんて遣っていられないんじゃないかとも思いますよ。家族として障害をもつ人を受け入れ、ともに暮らすというのは、まだまだ難しいんじゃないでしょうか。

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