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障害者

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2003/02/07
「できない」「危ない」と決めつける前に、 「障害」をバリアにする社会を変えよう 障害者欠格条項を考える


病気や障害を知らない人たちが法律を作っている 大阪精神障害者連絡会 下村幸男さん

憧れだったバイクの免許

大学生だった19歳で発病して以来、6回の入院をしてきました。精神分裂病と診断されたこともあるし、今はそううつ病という診断を受けています。発病当時の僕は、友達から「哲学の哲ちゃん」と呼ばれるほど哲学に傾倒していました。人生や人間とは何かということを突き詰めて考えていたある日、宇宙と一体になりたいという気分がどうにも収まらなくなりました。何時間も歩き続けたり車がビュンビュン通る国道を走ったりし、心配した両親が入院させたんです。
3ヶ月間入院して病状は落ち着いたものの、大学はやめました。小学校の先生になりたくて大学に進んだのですが、その気持ちが薄れてしまったからです。それからはアルバイトや自動車メーカーの短期工などをしました。その頃は、人の倍とは言わないまでも1.5倍ぐらいは働いていました。今は0.5倍ぐらいやけど(笑)。お風呂に入る時間もないぐらいで、月に15万円の定期預金ができました。そうやって貯めたお金で、21歳のときに車と自動二輪の免許を取ったんです。バイクの免許を取ろうと思ったのは、その時に新聞配達の仕事をしていたからです。高校時代からバイクに憧れていたこともあって、試験に合格した時は嬉しかったですね。

「車の運転なんかさせたらあかん!」

下村幸男さん 精神病にかかっていると免許が取れないという欠格条項があることは、免許を取った時点では知りませんでした(当時の道路交通法には「精神病者には免許を与えない」という文言があったが、病気の申告は義務づけられていなかった。このことからも欠格条項の矛盾がわかる)。同じように欠格条項のことを知らずに入った生命保険で、2回目の入院をした時に入院給付金をもらう手続きをしようとして初めて「欠格条項」というものがあることを知ったんです。20年ほど前には、てんかんと精神病には保険金が下りなかったんですよ。でも納得できない親父が保険会社と揉めて、その時に「あんたの息子さんは、車の運転なんかさせたらあきませんよ!」と保険会社の人が啖呵をきって帰ったらしいです。親父はそれを真に受けて、車に乗ることをなかなか許してくれなくなりました。それまで車もバイクも普通に乗って、大きな事故を起こすこともなく、北海道や九州までツーリングに出かけてたのに。何回も話し合って、最終的にバイクは自分の責任で乗るということになりましたが。

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