多分、子どもの頃に甘えられなかったぶんを甘えていたんだと思います。子どもには、親に抵抗したら見捨てられるという恐怖があります。けれどもう私は自立していたし、「何を言っても私は捨てられない」という確信がありましたから。逆に母はとてもつらかったようです。子どもに自分がやってきたことを否定されたという寂しい思いと同時に、「子どもに見放されるんじゃないか」という不安もあったみたい。「娘の言うことは理不尽だけど、何とかついていかなくちゃ」というのが正直なところだったと思います。 母と娘の話し合いは平行線のまま、親子でカウンセリングを受けることに。カウンセラーの前で東さんと母はそれぞれの思いを語り、これまでの生き方を振り返り、時には泣いた。自覚していなかった自分の本心を知り、驚いたことも度々だった。東さんの母は、自分が若くして母親になったというプレッシャーや夫の両親への複雑な感情からがんばり過ぎていたことを自覚した。他人の目という呪縛から少しずつ解放されていくなかで、お互いを縛りあうような親子関係は、あるがままを受け入れあう関係へと変化していった。 60歳を過ぎた母に、これまでの生き方を見つめ直してほしい、過ちを認めて生き直してほしいと求めるのは酷なんだろうか……。母が悲観的になったり泣いたりする様子を見るたびに、私もつらくて自問自答しました。だけど父とは本音をぶつけ合う前に死別してしまってとても後悔したから、母とはきちんと向き合いたかったんですね。紆余曲折を経て、母はふっきれたように変わっていきました。人がどう思おうが、自分の心に忠実な言動をとるようになりました。行動する前から後悔するような人だったのに、「失敗したら失敗したでいいじゃないの」と言うようになったんです。その変貌ぶりには驚きました。 私自身もかなり変わったと思います。今もコンプレックスはあるし、「なんて私はダメなんだろう」ってガッカリすることもたくさんあるけど、それを否定せず受け入れるようにしています。誰かに嫉妬しても、「うわあ、私ってこんな嫌な部分がある。でもこれも私なんだ」。何かに感動したら、「こんなやさしい気持ちもある」。ぜーんぶ、受け入れる。
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