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2003/07/25
どんな「私」も大切な「私」


ふっきれた母の変貌に驚く

多分、子どもの頃に甘えられなかったぶんを甘えていたんだと思います。子どもには、親に抵抗したら見捨てられるという恐怖があります。けれどもう私は自立していたし、「何を言っても私は捨てられない」という確信がありましたから。逆に母はとてもつらかったようです。子どもに自分がやってきたことを否定されたという寂しい思いと同時に、「子どもに見放されるんじゃないか」という不安もあったみたい。「娘の言うことは理不尽だけど、何とかついていかなくちゃ」というのが正直なところだったと思います。
母は仕事もしていたし、家のこともきちんとやってきたけれど、一人の人間として自立はしていなかったんですよ。幼い頃は親に、結婚してからは夫に、子どもができてからは子どもにと、いつも誰かに無自覚に依存して生きてきたんですね。時として依存は支配になります。けれどそれは母自身が悪いわけじゃない。女性が誰かのために生きることをよしとする社会のあり方そのものが間違っているんですよね。

母と娘の話し合いは平行線のまま、親子でカウンセリングを受けることに。カウンセラーの前で東さんと母はそれぞれの思いを語り、これまでの生き方を振り返り、時には泣いた。自覚していなかった自分の本心を知り、驚いたことも度々だった。東さんの母は、自分が若くして母親になったというプレッシャーや夫の両親への複雑な感情からがんばり過ぎていたことを自覚した。他人の目という呪縛から少しずつ解放されていくなかで、お互いを縛りあうような親子関係は、あるがままを受け入れあう関係へと変化していった。

60歳を過ぎた母に、これまでの生き方を見つめ直してほしい、過ちを認めて生き直してほしいと求めるのは酷なんだろうか……。母が悲観的になったり泣いたりする様子を見るたびに、私もつらくて自問自答しました。だけど父とは本音をぶつけ合う前に死別してしまってとても後悔したから、母とはきちんと向き合いたかったんですね。紆余曲折を経て、母はふっきれたように変わっていきました。人がどう思おうが、自分の心に忠実な言動をとるようになりました。行動する前から後悔するような人だったのに、「失敗したら失敗したでいいじゃないの」と言うようになったんです。その変貌ぶりには驚きました。

母の謝罪によって生まれた感謝の気持ち

私自身もかなり変わったと思います。今もコンプレックスはあるし、「なんて私はダメなんだろう」ってガッカリすることもたくさんあるけど、それを否定せず受け入れるようにしています。誰かに嫉妬しても、「うわあ、私ってこんな嫌な部分がある。でもこれも私なんだ」。何かに感動したら、「こんなやさしい気持ちもある」。ぜーんぶ、受け入れる。
言いたいことはなるべく言いますが、「言わなくてもいいや」とも思うようになりましたね。今わかってもらえなくてもいつかは伝わるでしょうし、わかってもらえないということを自分がわかっていればいいや、と。
私、「あきらめる」って素晴らしいことだと思う。以前は悪いことだと思っていたんです。とにかく何事もあきらめず、いつでも前を向いてゴーゴーゴー!という感じでした。だけど、今は「あきらめる」ってあるがままを受け入れることだと思っています。無理しなくても、本当にあきらめられないことはやっぱりまた挑戦したりするんですよ。それよりも今の自分をいい面も悪い面も含めて大切にしたいんです。
3年ごしの母娘の話し合いを経て、母は「私があんな育て方をしなかったら、あなたたちにも違う人生があったねえ。悪いことをしたと思ってね」と私に詫びました。その時、私はようやく自分のほんとうの気持ちに気付きました。生き直したい、母にも新しい人生を歩んでほしいと思って話し合ってきたけれど、何よりもまず「いい子」でいなくちゃとがんばり続けてきた私に謝ってほしかったのだ、と。謝ってくれたことで、改めて母が私にしてくれた数々のことを感謝できるようになりました。ずっと「親子ごっこ」をしてきたけれど、ようやく本当の親子になれたような気がします。
日本では、「変革」だとか「変化を恐れない」って若い人のイメージがありますよね。でも、命ある限り人間は変われるんですよ。

後編へ続く

東ちづる(あずまちづる)

広島県生まれ。会社員生活を経て芸能界へ。テレビドラマやラジオの出演の他、司会、講演、エッセイや絵本の執筆、着物デザインなど幅広い分野で活躍している。プライベートでは、骨髄バンクやあしなが育英会、ドイツ平和村などのボランティア活動を続ける。
主な著書に、「私たちを忘れないで-ドイツ平和村より」(ブックマン社)、絵本「マリアンナとパルージャ」(主婦と生活社)、「ビビってたまるか」(双葉社)などがある。

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