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2004/10/01
問題なのは子供ではなく、おとなです。


10代も前半の子どもたちが起こす事件に、社会が大きな衝撃を受ける。そんな出来事が跡を絶ちません。そのたびに「子どもに何が起きているのか」と、子どもたちの世界を探ろうとするおとなたち。本当に、子どもたちの世界のなかに原因や理由があるのでしょうか。漫画家であり、ニュース情報番組のコメンテーター、そしてひとりの母親でもある石坂啓さんに、子どもを取り巻く「おとなの問題」を語っていただきました。

問題なのは子供ではなく、おとなです。石坂 啓さん

 

「ショボい」おとなが多すぎる

17歳、14歳、そして12歳という年齢の子どもが起こす事件に社会が大きな衝撃を受けるということが続いています。私にも中学2年生の息子がいるので、とても胸が痛みます。被害者はもちろん、加害者となった子どももかわいそう。
いつも、事が起きてから「そういえば少し様子がおかしかった」とか「言動が荒れていた」といった話が出てきますよね。みんな、薄々「ちょっと変だぞ」と思っているのに、関わりを怖れて見て見ぬふりをする。後になって言うなら、なぜひと言でも声をかけなかったのでしょうか。
また、衝撃的な事件が起きると、必ず「心の教育が必要だ」「子どもを理解しよう、何でも相談できる態勢をつくろう」という声が挙がりますよね。だけど私は、それもちょっと違うのではないかと思います。「心の教育」とはつまり道徳心や倫理観を指しているわけですが、これは言葉で教えられるものではありません。それに、子どもはとっくにおとなが自分たちをどう見ているか、どう評価しているかを理解し、裏をかいてますよ。「困ったことがあったら相談してね」「さあ、何でも話してごらん」なんて、子どもに理解のある顔をして言っても、そんな無邪気に心をすべて開くわけじゃありません。自分が子どもだった頃のことを思い返してみればわかると思います。
「子どもを教え導き、しつけなくては」なんて考えること自体、おこがましいんですよ。おとなが毅然として真剣に生きていれば、子どもはその姿から何かを感じ取るはず。だけど実際にはつまんないこと言ってる「ショボい」おとなが多くて、子どもは将来に希望がもてなくなり、成長の方向を閉ざしているというのが現実ではないでしょうか。実際、子どもたちから見たおとなの姿がどうかというと、恥ずかしい材料がいっぱりありますよね。自分の失敗を他人に押し付けたり、わが身を守るために平気で嘘をついたり、人の足を引っ張ったり。「子どもは社会を映す鏡」だと言われますが、その言葉通り、子どもの世界でも犯罪やいじめという形で子どもが傷つき、心を失っている。子どもの問題は、つまるところおとなの問題なのです。

 

介入ではなく、メッセージを伝える。

私ひとりの力なんて本当にささやかなものですが、せめて手の届く範囲にいる子どもたちには「楽しいものを見せてあげたい」「幸せな気持ちでいてほしい」と思いながら接しています。わが家に来るのは大歓迎。毎日誰かが来ていて、夕食も家族だけで食べたことがほとんどないほど。夫は「ウチは託児所じゃないぞ」と言ってます(笑)。
つい先日は、仲良くしていた子が九州へ引越すというので、「お別れ会をしよう」と20人の子どもを連れてカラオケに行きました。おとなは私ひとりです。親が何人もいるとかえってうっとうしいでしょう? 子どもたちが勝手に楽しんでいるのを、少し離れて見てればいいから楽ですよ。ただ、あんまり粗雑なものの言い方をしたり、冗談が過ぎると思った時には、「それはダメなんじゃない?」と微調整はします。
介入するのではなく、子どもたちの言動や顔色をていねいに見ること。誰か一人でも嫌な思いをしていたら、絶対に見逃さない。道徳的な良し悪しや命令ではなく、「その言葉遣いは、私は気に入らない」「流行ってるかもしれないけど、私はイヤだ」というメッセージをきちんと伝えることは、子どもの邪魔にはならないはず。
ポツリポツリと家庭や学校の話をしてくれる子もいます。子どもたちからの情報でイジメの背景もわかる。学校へ文句を言いに行くこともありますよ。使命感や正義感に燃えているわけではなく、自分が面白いからやってるんです。子どもたちはみんな、性格も持っている条件も成長の度合いも違うから、私が彼らから教えてもらうことも多い。そして、一瞬一瞬がその時だけしか見られない光景なんです。「今日のメンバーの、この表情」という感じで、私自身が楽しませてもらって、ありがたいですね。

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