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ジェンダー

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2000/09/24
私がフェミニズムを学ぼうと思ったワケ 遙 洋子さん1


私、今宮戎の福娘に応募して落ちたことがあるんです。大阪生まれの大阪育ちで、 私ほど「商売繁盛笹もって来い」が似合う女はいないと今でも思う。落ちて思いあたるのは、腕組みして女性を批評する審査員の男性たちの前で、どうしても笑顔を作れなかったことです。男性の好みが最優先される中で、あの時、私には審査員たちをにらみ返すしかできなかった。
タレントになってからのオーディションも、その構図は同じ。やがて私は面接官の好みのタイプを瞬時に嗅ぎわけ、演じられるようになっていきました。オーディショ ンでは番組のメインをはる男性タレントが面接官に加わっていることもあるので、「好みの女」「使いやすい女性」を採用したいというのは、当然といえば当然。私が逆の立場だったら、自分の好みの男の子を採用するだろうとも思うから、そういった風潮を責めることはできないとも思います。が、そこには長い間にわたって作られてきた社会の構造がある、と気づくようになったんです。権力を握る人間VS権力を握れない人間の構図ですよね。

さらに、「女らしく」仕事をしていたらトップへの階段を上がっていけないということも分かってきた。周りの男性の顔色を読み、男のプライドを傷つけないように・・・と「男に愛される女らしさ」をかかえている以上、オーディションには合格しても、いつまで経っても自分でメインをはれないんです。
私としては、仕事の階段は上がりたい、でも「男に愛される女」を捨てたくない部分もあるから、ジレンマでした。

どうすればいいのかヒントがほしいと思って、女性の生き方に関する講演会にしょっちゅう足を運んだのですが、自己流の勉強法に限界を感じ、93年からすでに母校で開講されていた女性学などを履修しました。おそらく今の自分に必要な学問分野をもっと学び、「男社会のために感じる、自分の中の“気持ち悪さ”を解消したい」という思いが強くなってきた。そこで、上野千鶴子教授に教わりたい、と。教授からの許可を得て東大のゼミ生になったのが、3年前のことです。

(次回に続く)


遙 洋子(はるかようこ)
タレント。大阪市出身。武庫川女子短期大学卒業。1986年から8年間、上岡龍太郎と組んで読売テレビ「ときめきタイムリー」の司会を務めたほか、関西を中心にテレビ、ラジオ、舞台で活躍。現在、活動の場を東京にも広げ、NHK「生活笑百科」、 読売テレビ「週刊トラトラタイガース」などに出演中。97年から3年間、東京大学・ 同大学院の上野千鶴子ゼミでフェミニズム社会学を学ぶ。著書に『東大で上野千鶴子 にケンカを学ぶ』(筑摩書房)。
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