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2001/07/30
フェミニズムは男性の幸せへの道しるべ


家族との思い出をつづった文集を読む
妻がいかに「光をもたらす」存在であったかを2人の息子あてに綴った冊子を前に

ところが、その頃から妻が家庭に持ち込む話題が変わり始めた。在日外国人のクラスメートの逆境について、女性の置かれた立場についてなど社会的な話題が増えたんです。私の守備範囲でない分野の話を聞くたび、私は彼女に「教えられた」と思うようになりました。
私の希望で、東京から地縁血縁の一切ない京都府亀岡市に一家で引っ越した後も、彼女は通信制短大で学ぶと共に、地域や学校から、私とは異なった世界を持ち帰ってきた。卒業後は、念願だった中学の家庭科講師となり、後に脳腫瘍を患って2回の手術を経て発病5年半後に他界するまで、生き生きと輝き続けました。


息子にも伝わった妻の“一生懸命”

発病してからは、コバルト照射治療の副作用で脱毛したのですが、カツラをつけなかった。生徒に「ハゲ、ハゲ」と呼ばれた時、「あなたたちがその立場だったらどうなのよ!」と声を震わせながら詰め寄っていたようです。平和運動に取り組み、再発後長く立っておれないような頃もビラ配りをしたりしていた。そんな妻の姿に、私も息子たちも、どれほど励まされたことか分かりません。

当時、私は学習塾を経営していました。比較的時間が自由になるものの、つきっきりで妻の介護をすることはできません。思春期だった長男に、私の留守中に妻の下の世話までさせるのがいいかどうか悩みましたが、病状を具体的に伝えて話し合った後、彼が「僕もお母さんの世話をする」と言い出してくれたのも、妻の一生懸命に生きる姿を見てきたことと無縁ではないと思います。入院後も、息子たちは往復2時間以上の道のりを足繁く病院に通い、病室の壁に画用紙を吊るして私と息子たち3人の毎日の予定や一言日記を書くなど、みんなで彼女を励ましたものです。

闘病中の妻を励ました家族の一行日記
「妻の入院中、息子たちと私のスケジュールを書いたこの紙を壁に張り、励ましたんです」と話す清水さん

私は思います。妻が職業を持って一生懸命に生きたこと、夫婦の関係が対等だったことが、私たち家族を豊かにしてくれた、と。
彼女との「別れ」からまもなく14年になりますが、私はその後、子どもたちが独立するまで7年間父子家庭として暮らし、また6年前からは故郷に帰り母を介護(5年間の介護の末、昨年母は他界)と、いわゆる女性役割を果たす一方で、フェミニズム書を30冊ほど読んできました。その間、私なりに自分の来し方を振り返ってみたつもりです。
その結論は、「妻が職業を持つかどうか、家庭にフェミニズムの視点があるかどうかが、妻自身の幸福だけでなく、その家族、特に夫の幸福、人間としての輝きを大きく左右する」ということ。私はとりわけ若い男性に、「男性が女性に支配的になり喜びを得るという“差別幸福観”は、一時的な空しいものだ。“平等幸福観”こそ、永く続く本物の喜びであり、フェミニズムは男性にとっても幸福への道しるべである」と申し上げたいのです。(談)

清水宏(しみず・ひろし)
1941年生まれ。北海道大学卒業後、東京都清掃局作業員、私立中学教師(東京)、学習塾経営(滋賀)を経て、1995年故郷・長崎県島原市に戻り、現在は塾講師。脳腫瘍に倒れた妻の介護、妻亡き後の子育て、母の介護をしてきた。

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