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2004/05/29
世界文化遺産登録を機に考えたい大峰山の女人禁制議論


「女人禁制」は差別か、伝統か----について考える2回目。第1回に記したように、奈良県にそびえる「大峰山」は今なお女性の立ち入りを拒んでいる。そんな中、今年6月に、その山上に建つ大峰山寺と山道の大峯奥駆道(おおみねおくがけみち)が「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部としてユネスコの「世界文化遺産」に登録される見通しとなったことを機に、昨年末、市民グループ「世界文化遺産登録にあたって『大峰山女人禁制』の開放を求める会」が結成され、「女人禁制は差別である」の主張のもとに署名活動などが行われてきた。一方で、大峰山麓の町・洞川(どろがわ)では「大峰山の女人禁制は宗教上の伝統であり、差別ではない」「女人禁制を含んだ文化が世界遺産に認められる」との意見が多数を占める。双方に話を聞くとともに、大峰山女人禁制の「経緯といま」を取材した。

世界文化遺産登録を機に考えたい、大峰山の女人禁制議論

地元に伝わる女人禁制の起源

紀伊半島の中ほどの奈良県天川村に位置する「大峰山」は、7世紀に修験道の祖、役小角(えんのおづぬ=役行者ともいわれる)が開いたとされる。標高1,719メートルの主峰、山上ケ岳を指して一般に「大峰山」と呼ばれ、山上には大峰山寺が建っている。

山域は古来から修験道の道場として知られ、信徒による「サンジョマイリ」と呼ばれる風習が連綿と続いている。これは、「山伏(やまぶし)」が金剛杖をつき、ほら貝を鳴らし、真言(しんごん)を唱えながら険しい山中を歩くことで、世俗のアカを洗い流し「仏」に近づこうという風習で、信者たちは各地から「講」単位で来訪。成人前の男たちは、山伏姿の先達に連れられて登る。行場(崖)から縄で吊るされて落とされそうになり、先達に「親に孝行するか」「女遊びをしないか」などと怒鳴られ、「はい」と答える。大人の男になるための一種の通過儀礼ともいわれている。

女人禁制の理由は、深山を「神」とし、女性を排する古来からの自然観や、神道、仏教の教えにある「ケガレ観」と密接に関係していると見られるが、地元ではこんな言い伝えが起源とされている。

〈大峰山で修行に励む役小角を案じた小角の母親が、麓の町・洞川に住む小角の弟子を伴い、大峰山に登ろうとした。谷にさしかかったところ、大蛇がいた。2人が谷を渡ろうとすると、大蛇は大きな口を開けて襲いかかろうとして、行く手をふさぐ。2人はあきらめて洞川の里に引き返し、里に庵を結び、大峰山に手を合わせて小角の無事を祈った。すると、光の中から「阿弥陀如来」が現れ、「お前たちは小角の修行を妨げてはいけない。小角が下山するまで里で待ちなさい」と告げた。以来、その谷が蛇ケ谷と呼ばれ、女人禁制の結界口と定められた。里人は庵跡に堂宇を建立し、「母公堂(ははこどう)」と呼ぶようになった〉

母公堂の写真
古代の役小角伝説によって、1971年まで「結界口」とされた母子堂。今も堂々と「従是女人結界」と彫られた石碑が建っている。

民話だが、洞川の町から1キロほど離れた、大峰山の登山口に近い場所に、今も母公堂という小さな社が実際に建っており、その前に「従是女人結界(これより にょにん けっかい)」と彫られた石碑がある。そこが、1971年まで「結界口」だったところだ。今は、そこからさらに約2キロ山寄りのところに、女人結界門と「従是女人結界」と彫られた大きな石碑、そして英語と日本語で「これより先は女人禁制」という意味の文章が書かれた看板が立っている。また、ほかの登山道の入り口3カ所にも、女性の立ち入りを禁じる結界門や看板が立っている。

 

 

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