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ジェンダー

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2006/08/11
ジェンダーという"めがね"で社会を問い直す


女性の人権運動は「競争」ではなく「共生」を目指している

―――ジェンダーという言葉だけにとらわれ過ぎるのはよくないということですね。

そうですね。実はわたしはジェンダーという概念には共感しましたが、当初はカタカナ語として使われることにとても抵抗がありました。ジェンダーに対する共通認識ができないまま公的な文書に使われることを危惧したんです。
たとえば中国では「社会性別」、韓国では「女性差別」という言葉が使われ、「ジェンダー」という言い方はしません。意味が曖昧になってしまうからです。日本ではカタカナで表記した結果、誤解や曲解が生じ、共通認識が深まっていないのが現状です。どんな時にも男女を分けるというのは確かに差別につながりますが、「何がなんでも男女一緒に」と形にこだわり過ぎると、人権の問題として考えるという主旨から離れてしまいます。

―――ジェンダーという言葉を肯定的に使う人も反発する人も、改めて概念を確認したほうがいいですね。

船橋さんの写真 ジェンダーという“めがね”をかけて初めて、それまでわたしたちがかけていた“めがね”が「障害をもたない白人男性」の“めがね”だと知ったわけです。社会の構図がわかりやすくなった。決して女が男並みになることを目指しているわけではないんです。男性だって「男なんだからしっかりしろ」「男のくせに泣くな」などと言われてしんどい思いをしています。場合によっては、男性であるがゆえに暴力を認めて加害者にならざるを得ない。女性差別撤廃条約以降の運動のなかで一番有効だったのは、近代国家の名のもとにある暴力性が明らかになり、「平和・平等・開発」が新しい社会づくりのテーマになってきたことだと思います。
日本が女性差別撤廃条約を批准して21年目になります。けれども今の日本は近代が価値としてきた「力の論理」がまかり通っています。すべてを市場原理に当てはめるような社会をわたしたちはどう相対化して変えていくことができるのか。それを考えるためにも、女性差別撤廃条約の精神を改めて確認する必要があるのではないでしょうか。

―――「女性の人権運動は競争じゃなく共生」だと発言されていますね。

わたしはアジアの女性たちとのネットワークづくりにも積極的に取り組んできました。ですから国内に目を向けるだけでなく、グローバルな視点で物事を見ることを常に自覚するよう心がけています。
日本は少子高齢化が急速に進んでいます。一方で女性の社会進出も進み、育児や介護の担い手が不足しています。そこでアジアの女性たちがケア労働をする人材として入ってくる流れができつつあります。香港ではすでに女性のほとんどが社会進出をして、育児や介護はインドネシアやフィリピンの女性たちの仕事となっています。女性たちが属性や階級、人種によって分断される時代を迎えているんです。女性の人権をジェンダーだけでは語れない段階に入ってきたと言えるのかもしれません。これからますます人権感覚や差別を見抜く力を一人ひとりがもつことを求められるでしょう。

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