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2009/12/10
お金で命を落とさないで


深刻な経済不況の今、借金苦、経済苦による自殺が急増している。なかでも目立つのが、リストラや賃金カットに直面しながら家族にも相談できず、一人で悩みを抱え込んで孤立してしまうケースだ。自身も多重債務に苦しみ、実母が借金苦で自殺した経験をもつ弘中照美さんは、「多重債務による自死をなくす会」を通して、「誰かに話せば、必ず解決の糸口はみつかるはず」と呼びかけている。

お金で命を落とさないで 弘中照美さん

複数の金融機関からの借り入れで、毎月の返済金額が膨らみ、返済不能に陥ってしまう多重債務者。2008年3月末時点で多重債務者は118万人。5件以上からの借り入れがある人は前年より減っているものの、2件以上の借り入れがある人は240万人と増加している。年間の自殺者数が11年連続で3万人を越えるなか、経済的な理由での自殺はその4分の1の8000人に上る。

弘中照美さん(49歳)が、借金苦による自殺防止や残された遺族の心のケアに取り組もうと、多重債務問題に取り組む弁護士や司法書士らと「多重債務による自死をなくす会」を立ち上げたのは、2年半前の2007年3月。3本のホットラインを公開して、ボランティアでの電話相談を行っている。相談内容に応じて弁護士や司法書士を、心の病を抱えている人には医療機関を紹介。残された遺族の心の支援にも取り組んでいる。
「一人で悩みを抱え込む人を少しでも減らしたい。この人だけは話を聞いてくれるという存在でありたいと思っています」
弘中さんは、元司法書士事務所補助者。多重債務者が亡くなった時、消費者金融業者がその人の生命保険金を請求してくるのはおかしいと06年に民事提訴を起こし、社会に多重債務の現状を投げかけた。その提訴がきっかけとなり、消費者金融各社が借り手を生命保険に加入させるという人権を無視した悪習が撤廃されたのである。一人の女性をここまで突き動かしたのは、お金と命をめぐる家族の辛い歴史にあった。

「照美、子どもを大切にしてください」

弘中さんは、10年前、自身が多重債務の問題に直面していた。たった1人の兄を病気で亡くした翌年のことだ。
「いちばんしんどかったのはお金よりも、追い詰められての精神的な苦痛。『死にたい』という思いは常にあって、日課のようにリストカットを繰り返していました」
バブル崩壊で前夫が事業に失敗し、約14社の消費者金融に多額の借金があった。「ちょっと待ってもらえませんか?」「なに寝ぼけたことぬかしてんねん! 今から家いったるからな!」。厳しい取り立てに遭い、クリスマス・イブの夜、中ニの次男を連れて駅と駅の間を6時間さまよったこともある。「もう死にたい」、線路を見ながら意識は朦朧としていたという。次男の「母さん、きょうはクリスマス・イブやで」という屈託のない声で我に返った。
少しずつでも立ち直れたのは、多重債務者の支援団体に打ち明けたことがきっかけだ。2000年には、自らもボランティアで多重債務の相談活動を始めるようになり、法的支援者らとの出会いから司法書士事務所でのパート勤務もするようになった。とはいえ、バブル期に5880万円で買った家は1600万円で落札され、残ったのは4000万円近いローンのみ。さらに高校生と大学生になった2人の息子の学費がかさみ、苦しい生活が続いた。その間、働く意欲も、家族と共に生きる意欲も失った前夫は、家を出て別居。03年に調停離婚が成立した。
ただ、辛いことばかりではなかった。多重債務の支援活動を始めたころ、出会ったのが現在の夫である。彼も事業が不振となって相談会に参加し、後に同じく相談員になった一人。出会いを重ねるうちに、いつの間にか弘中さんが最も辛いとき常に側にいてくれる人となっていた。そして、息子たちにも後押しされ結婚へ。その年の冬には離れて暮らす母にも報告した。
「お母ちゃん、私、結婚することになってん。ウェディング姿、楽しみにしといてや」
「よかったなあ、今までの分も幸せになりなさいよ」

その母が借金苦から首をつって自ら命を絶ったという知らせが入ったのが、その翌年の04年8月。「照美、子どもを大切にしてください」という走り書きの遺書が残されていた。最初に借りたのは、兄の入院費用にと1社から10万円。高金利のため、返済金額が膨らみ、最終的には4社から200万円となっていた。
「多重債務の相談活動をしていながら、母の苦悩には気づけなかった。自分を責め続けました。もう人様の相談なんか受けられないと、電話の音さえ恐くて1年間何も手につきませんでした」
葬儀後、母の死因を隠して仕事に復帰したが、激しいフラッシュバックに襲われ、不眠、食欲不振が続いた。上司にだけ事実を話し、表向きは再婚準備のための寿退社として家にこもった。さらに激しい自責の念に襲われたという弘中さん。泣いても、泣いても涸れない涙。「私なんかが食べものを美味しいなんて感じたらあかん、幸せを感じたらあかん。お母ちゃんに申し訳ない」。家族から見ても、完全な心神喪失状態。自宅の浴室、洗面所、台所からカミソリや包丁類すべてが消えていた。
そういう状況だからこそ、周囲が勧めたのが予定していた結婚式だ。「お母ちゃんをあんな形で亡くしてんのに」と納得しない弘中さんの前で、夫と一緒に息子も頭を下げた。「おかんの花嫁姿が見たいんや、頼む!」。背中を押されるようにのぞんだ挙式。
「前夫が出ていった後も息子たちがそばにいてずっと支えてくれた。あの子たちがいなかったら、今、私は生きてなかったと思う。それを考えたら、母がなんで私を置いて逝ったんだろうと感じます」

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