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多民族共生

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2004/09/17
関西華文時報 中国人の生の声を伝え、本音の日中友好を目指したい


現在、関西で暮らす中国人は約6万人。私たち日本人と同じ顔立ちとはいえ、習慣や文化の違いによって起きる摩擦から、かなり住みにくい状況をつくり出しているようだ。そうした在関西中国人に生活に密着したきめ細かな情報を伝えたいと、中国人と日本人の夫婦が中国語新聞『関西華文時報』を発行している。紙面は、国際結婚をした夫妻が抱えるストレスや問題点を考察する場ともなっている。

中国人の生の声を伝え本音の日中友好を目指したい。叢中笑さんと黒瀬道子さん

「関西華文時報」を発行するのは、叢中笑さん(35歳)と黒瀬道子さん(32歳)。記事の約8割が中国語、残り2割が日本語という構成で、タブロイド版の32~36ページ。2週間に1回の発行だ。生活相談・人生相談から求人情報まで盛り込んだ内容で1部300円。2割が定期購読者だという。

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叢さんと黒瀬さんの出会いは中国だ。大学で日本語講師をしていた黒瀬さんを、テレビ放送局の記者だった叢さんが「大連で働く外国人」として取材したのがきっかけである。
そもそも黒瀬さんが中国に魅かれたのは大学時代。希望した専攻で中国語が必須科目だったことから、時代とともに変化する中国に魅力を感じるようになり、卒業論文の準備のために約1年、北京の映画大学へ留学した。
「実際の中国はそれまでのイメージと違っていて、カルチャーショックを受けました。特に映画大学ということで、敷地内には中国映画で活躍している女優や俳優さんが住んでいて、みんな英語を話せて前向きで、上昇志向が高い人ばかり。同年代の人たちも頭が切れて、明るい将来に向けて何の疑いもなく自信に満ちていた。これからすごく伸びていくんじゃないかという勢いを感じました」
日本での就職率は下り坂傾向で現実逃避型の日本人留学生が多かった中、「本腰をいれて勉強しないと中国に負ける」といった意識が強くなったという黒瀬さん。一旦帰国し、大学卒業と同時に大連での日本語講師募集の話を受けて、迷わず着任した。叢さんとの出会いは、それから2年後のことだ。
「最初の叢の印象は、不潔で最悪でした」と笑う黒瀬さん。でも人気雑誌の執筆者として一目置いていた、その本人と分かって気持ちは変わっていったようである。

 

「言葉は通じても、意志が通じない・・・」

その後帰国し、日本で翻訳や通訳の仕事をしていた黒瀬さんだが、2人は97年12月に入籍。翌年8月の結婚式を機に、叢さんは放送局を退社し来日した。しばらくは日本の中国語新聞に記事を書いたり、中国国内のメディアに記事を送ったりしていたのだが、現実の就職はかなり厳しかった。
叢中笑さんの写真 黒瀬さんは「とても優秀な人だから、元の職場も含め中国のマスコミとのパイプ的な仕事ができるのではないか、他でも何とかなるだろうと思っていたのが甘かったです」とふりかえる。
焦る叢さん。そんな中での黒瀬さんの妊娠。面接ひとつにしても、身元保証人として奥さんを連れて出直すようにいわれ、同行すると私生活にまで口を出される始末。同じ国際結婚でも、夫が日本人の例と比較して「頼りなさそう」と卑下され気味で、黒瀬さん自身すごいストレスになったという。
「もっとも辛かったのは、そうした気持ちを彼が理解できなかったこと。女性の方に力があれば女性が養って当然という考えの中国だから、なぜ僕の面接についてきてくれないの、どうして僕の代わりにアルバイト先を探してこないのかと真顔で言うんです」
黒瀬道子さんの写真 黒瀬さんの親に対しても「仕事を紹介してください」と当然のことのように頼む叢さん。出産後の育児でも、意見はくい違った。
孫の面倒は祖父母がみるのが当然のお国柄の中国。叢さんは「子どもをなぜ日本の両親がみてくれないのか」と尋ね、できないなら「中国の母親が見るので連れて行こう」とも言い出した。子どもの保育園のシステムにしても理解してもらえない。度重なる行事参加などがあると、「なぜ保育料を払っているのに全面的にみてくれないのか、怠慢じゃないか」と怒った。
「言葉は通じているのに、意思が通じていない感じでした。他人には異文化理解が大切だから、よく話し合ってと冷静に言えても、自分のこととなると夫が何人なんて関係ない。気持ちよく生活できればいいだけなんです」
そうした夫婦間の考え方のズレが新聞づくりの原点となった。

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