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多民族共生

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2005/01/14
フォトジャーナリスト 大石芳野さん 戦乱を生き抜く人々、その変わりゆく暮らしを写す


自由と野放図を履き違えないで。

ベトナムで。女子高校生の表情は明るい。 海外から帰ってホッとするのは、家族はもちろん飼い犬の柴犬が元気で出迎えてくれる時。ただし、気になることも。一部の日本人のマナーの悪さだ。
「ひどい常識はずれの大人が多いこと。ぶつかって知らん顔をしたり、にらみつけたりは、外国ではあり得ない。たとえば2人掛けの席に先に座っていて、後から座ろうとするとムッとした顔をする人が結構多い。外国では公共のバスや電車、ベンチで詰めるのは当たり前のことです。それと、電車やバスの中で丹念に化粧をする若い女性。私はいつもその人の親はどんな育て方をしたんだろうと親の顔が見たいと思う。そういう人はあいさつもできないし、ありがとうやごめんなさいも言えないのではないかとさえ思ってしまう」
どんな戦乱の地でも、そうした非常識なことはあり得ない。多くの人々が共に生きる場である社会で、常識を欠いた日本人が多いというのが印象的だという。
「経済的に豊かになれば仕方がないんだと言う人が日本にもいますが、私は違うと思う。豊かな国にも行きますが、息子や娘にそんな躾をしている国民はないですよ。電車の中で化粧をしたって誰にも迷惑がかかるわけじゃない、夜中にそこら辺で寝っころがり、しゃがんでたって誰にも迷惑はかからない。バッグが欲しくて援助交際をしたって減るもんじゃないしと平気になれる。そんな感覚は日本特有のものじゃないでしょうか。若者も若い親たちもゴムが伸び切ったような、どこか正体が定まらないような表情をしている。どうしてそんなに表情なんだろうと探っていくと、こうしたことに行き当たるという気がします」
他人の中でどう和やかに生きるかという人間社会で自由はすごく大事だが、人に迷惑をかける野方図と履き違えてはいけないと語る。
「自由と野方図の境界線はきちんとしなければいけないと思う。すべて自由なんだからと言ってしまったら、将来の日本はどうなるか分からないですよ」

アフガニスタンで少年と。(2002) 現在、東京工芸大学でフォトジャーナリズム論を教えていて、以前ほど自由には取材に出られないという大石さんだが、今も授業の合間のをぬって、あるいは夏休みなどを利用しては積極的に出かけるという多忙な日々。これからも「戦争と平和」が変わらないテーマである。
「これまで私の夢はスカートとハイヒールをはいて海外旅行へ行くことなんて話していましたが、今年初めて、取材も少し兼ねた観光旅行を体験しました。気分は非常に楽でしたね」と表情が少しほころんだ。
戦乱の影が濃い地に何十年も通い続けるエネルギーはどこから湧き出てくるのかという問いに、返ってきたのは思いもかけないシンプルな言葉。
「一度会った人のこと、その地域の人々のこと、また、その地域がどうなったが気になるから行くだけ。他人は原動力があってなんて言うけれど、そんなものはありません。気になるから行くのです」
長年にわたって向き合うこととは、こういうことなのかもしれない。大石さんの語ったワンフレーズが耳に残っている。「いつも自分だったらどうだろうなと思うんです」。

(11月1日写真展ギャラリーにてインタビュー)

大石さんの写真。

大石芳野(おおいし よしの)
東京都生まれ。1967年日本大学芸術学部写真学科を卒業後、ドキュメンタリー写真に携わり今日に至る。アジア、西アフリカ、ヨーロッパなど戦争や内乱によって極限状態を経験した人々のその後の姿を写真と文で記録し続けている。東京工芸大学教授、日本写真家協会会員、日本民族学会会員、日本ペンクラブ会員他。
1982年日本写真家協会年度賞を『無告の民』にて受賞。94年芸術選奨文部大臣新人賞受賞。2001年土門拳賞を『ベトナム 凛と』にて受賞、他多数受賞。
写真集、著書に1988年『夜と霧は今』用美社、93年『カンボジア苦界転生』講談社、97年『沖縄 若夏の記憶』岩波書店、98年『生命の木~アジアの人びとと自然』草土文化、2000年『ベトナム 凛と』講談社、02年『コソボ 破壊の果てに』講談社、03年『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』藤原書店、04年『コソボ 絶望の淵から明日へ』岩波書店など多数。

●本の紹介

「ベトナム 凛と」の表紙   『ベトナム 凛と』講談社
     
「アフガニスタン 戦禍を生きぬく」の表紙   『アフガニスタン 戦禍を生きぬく』藤原書店

※本の写真をクリックすると amazon のホームページから購入することができます。

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