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2000/12/06
私を立ち上がらせたもの


瀬戸内海に浮かぶ小島、長島。瀬戸内の穏やかな海に囲まれたこの島には、邑久光明園と長島愛生園という国立のハンセン病療養所がある。国をあげて行われた患者への人権侵害の責任を問う「らい予防法」違憲国家賠償請求訴訟(略称:ハンセン国賠訴訟)の熊本地裁判決を来春に控え、原告のひとりである中山秋夫さんに裁判にかける思いを聞くために、中山さんが住む邑久光明園を訪ねた。



『天が下のすべての事には季節があり すべてのわざには時がある
・・・・・
・・・・・
黙るに時があり、語るに時があり
・・・・・
戦うに時があり、和らぐに時がある』

私は時を受けて立ち上がった
昭和14年 19歳でこの療養所に入所
大阪大学特別皮膚科に通院していた私
その通院の都度 私から受け取った代金は
クレゾール液で消毒された
ただただ恐ろしい病気として植えつけられた病気

私を入所へ誘ったのは 
早く行って早く治ってとの甘言
「らい予防法」という隔離撲滅
そのような法律のあることは
療養所で暮らす その深まりの中で思い知らされた

入所直後に問われたのは
宗派は何であるか
所内での偽名はどうするか・・・
ただただ戸惑うそんな問いを始めにもらった

入口だけで出口のない療養所
それを思い知るまでの私の療養史

療養所の中に重病棟という別な建物があった
一年三百六十五日 患者に強いられた作業という名の労働
その果てで「患者」が「病人」となり
そこへ移される

この仕掛けの中で元の居室へ戻る者
あるいは死出の旅へ旅立つ者
療養所の究極
重病棟には医師も看護婦もいなかった

私の青年期の大部分
昭和22年から29年までの人生を
そこの責任者として費やした
それが最上の生き甲斐のように
私は私を燃やした

数百という死者
その死に顔へ立ち合う
遂にはその死に麻痺してしまう私の脳髄
そして死者達にあべこべに見送られながら生き残った

その都度渡された
死者たちの穏やかな死に顔
偽名を以てしても家族を社会から守り得なかった
・・・・・
だがそれが遂に成った
これで家族から私が消える
安堵の死に顔
その死に顔達に見送られながら
私が受け止めてきた 死者の魂
永い時の中 死者達の残してくれたもの

私はそれを幾度握りなおし握りなおし
麻痺の手で支えてきたか
麻痺というとめどなく無力な手
その中で死者達の叫びも死に顔も
すべてが石のように固くなって・・・

今こそそれを国賠訴訟の席で投げる
投げつける
石より固くなった死者の思い
大空で砕け飛び散れ
そして私の願い
ようやく私が立ち上がり、やり遂げた事
私の死に土産
鎮魂の花火となって空一杯に広がり
あなた達を亡き者にした地上へ
鮮やかに降り注いでくれ

※冒頭の一連は旧約聖書、伝道の書第3章より引用
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