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人を診る医者でありたい 長尾クリニック院長 長尾和宏さん

2011/10/28


転機となった阪神淡路大震災
長尾和宏さん

 阪大病院での5年間の診察と研究を経て、市立芦屋病院に内科医長として赴任。その4年後に人生の大きな転機となる阪神淡路大震災を体験しました。自宅から約2時間かけてたどり着いた院内は、次々と運び込まれる負傷者で野戦病院状態でした。倒壊した家屋から掘り起こされた人々の鼻にも口にも壁土が詰まっていて、すでに息を引き取った方も。それでも、家族の必死の願いに蘇生処置を試みた人が数多くいました。

 入院患者は収容能力をはるかに超え、重症患者を被害が少ない大阪方面へ転送しようとあれこれ手を尽くしても、上手く進まない状態でした。その陰で、すばやい対応ができたのが個人の力だった。負傷しながらもボランティアで救急処置に加わっていた一人の開業医が、個人の判断で大阪市医療センターに直訴し、医療センター側も受け入れを即決してくれて「芦屋・大阪ルート」が実現。多くの命が救われました。この時、痛感したのが、緊急時ほど後手に回りがちな「公」ではなく、すばやい判断力で組織までを動かした「個」の力。勤務医の限界を実感し、町医者となって開業に踏み切る決心をしたのです。

地域の人に信頼される町医者として

 震災から半年後の7月、ルーツである尼崎に戻り、商店街の20坪ほどの雑居ビルで開業。レントゲン室が1畳という世界一狭い診療所のスタートです。ところが、開業当初は患者数も数えるほど。3年目から徐々に増えてきて、今度は階段まで人があふれ、出入りもスムーズにできないなど手狭になりました。
 01年、国道2号線沿いの元銀行を競売で手に入れ、改装したのが現在のクリニックです。当初から複数の医者でやっていきたいという希望があって、診察室は3室に。最初は事務長もおらず、職員の給与計算から事務作業まですべて僕がやっていました。03年には外来診療を年中無休に、06年からは在宅療養支援診療所を併設して365日24時間の在宅医療を始めました。病人に休みはないんですから、当然のこと。今夏でちょうど移転10周年を迎えます。

在宅医療とは、安心医療

 現在、約250人の在宅患者を7人の医師で診ていますが、携帯電話での夜間対応は僕が担当しています。紹介患者は、大病院での外来通院と在宅医療の併用で始まるケースが増えています。一方、ガンや老衰などで症状が悪化して通院が困難になり在宅医療に至るケースも多く、ガンの場合は約9割が自宅での看取りです。
 在宅医療に必要なのは「安心」。いい訪問看護師がポイントです。医者の仕事は患者と家族に安心を与えること。およそ週に1人の割合で看取りがあり、これまで約450人の最期に接してきて、在宅での最期はほぼすべてが尊厳死です。尊厳死(平穏死、自然死)は、実にすばらしい世界。旅立たれた後のご家族の悲しみはもちろんですが、その一方で実に穏やかで満ち足りた表情をされています。

 しかし、この素晴らしさを大半の病院医療者は正面から知ろうとしません。逆に「なんでそんなことやってんねん」といった言葉が返ってくる。サッカーにたとえると、99%の医療者が病院というホームでしか闘ったことがなくて、アウェーでは何をしていいかさっぱり分からないのです。本人たちは意識してなくても、大半の医療者はアウェーを本能的にホームの縦割りの病院型に戻そうとする「癖」がある。すでに手の施しようもなく間もなく死に向かう患者にさえ、いくつもの延命チューブをつけなければといった呪縛から抜け出せないんです。

 医療者や市民に向けて在宅の看取りについての講演も多く頼まれます。しかし、在宅の良さはいくら話しても、書いても、人には伝わりにくい。今後、在宅療養や看取りの素晴らしさを映像で伝えられたらと考えています。