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特集



部落問題ありのまま vol.1

2007/07/26


とても残念なできごと ~イメージ、落ちました(涙)


さて、新聞や雑誌で「部落解放同盟」、「解同」(この略語、解放同盟をよろしくないイメージでとらえてい る文脈で、ひんぱんに使われている。よって、解放同盟自身は使わないそうだ)という文字を見かけると、しみじみと眺めながら、いつも思う。「これほどまで 特定のイメージにまみれた名称も少ないのではないだろうか」と。

「糾弾」「抗議」「圧力」「集団」・・・部落解放同盟には“強面”のイメージがつきまとう。少し前まではめったにメディアに登場することもなかったが、た まに登場した時には独特なインパクトがあった。知っているけど、あえて口にしない。たまに何かの拍子でその名を見聞きすると、なぜかたじろぐ。少なからぬ 人にとって、部落解放同盟とはそんな存在なのではないだろうか。
そんな部落解放同盟のイメージが決定的に地に堕ちる事件が起きた。
昨年5月、大阪市内の駐車場の収益、約1億3000万円を着服したとして、運営を業務委託されていた財団法人飛鳥会の理事長(当時)が逮捕された。ほか にも、関係者らを同和関連団体が雇用していると見せかけ、健康保険証を不正に取得させていたことなどが明らかとなった。同時に、理事長が被差別部落出身で あり、部落解放同盟の現役支部長(その後辞任)であったことから、いわゆる同和行政に対する厳しい批判が文字通り噴き出すがごとく始まる。
さらにこの後、京都、奈良、神戸で“同和がらみ”とされる事件が次々と発覚し、部落解放同盟に対する社会のまなざしは、はっきりと厳しいものとなった。「はっきりと」というのは、これまで表立った批判は行われてこなかったからである。
よくは思っていなかったが、触れるのは怖かった。しかし言い訳のしようのない不正が明らかになった。そこで、ゴーサインが出たかのごとく、マスメディア は「“同和は怖い”沈黙する行政」(TBS『報道特集』)「暴かれるかヤミ利権」(『毎日新聞』)などと、おどろおどろしい見出しで報道した。

それぞれの“判断” ~感じたことをきいてみた


気になるのは、こうした報道に「やっぱり」と感じたという人が多いということである。
この原稿を書くにあたって、身の回りの何人かに話を聞いてみたが、いずれも暴力団との関わりや、行政への高圧的な姿勢を報じるニュースを「あり得ると思 いながら見ていた」という。それは単にイメージだけではなく、それぞれの経験と重ね合わせたうえでの“判断”である。たとえば――。


・50代男性
学生運動に燃える青春を過ごした。
当時、被差別の当事者として社会の矛盾を追及する部落出身の若者たちは、学生運動のなかでもヒーロー的存在だったという。集会で彼らが登場すると、熱狂的な拍手と歓声で迎えられた。
しかし一方で、「差別的言動」を行った人間に対する徹底的な糾弾には内心、心が冷える思いがしたと語る。
「差別したのはよくない。でもとことんやっつけてしまうと、やられたほうには反省よりも恨みや恐怖が残ってしまう。あれはどうかと思った」。
その思いは、現在の部落解放同盟に対するイメージにそのままつながっている。一連の報道を「あり得るやろなあ」と思いながら見ていたという。


・50代の女性
仕事仲間からやり場のない気持ちを聞かされた経験がある。
行政関連の仕事をした際、他意なく本籍地を書く欄をつくった。これまでもそうしてきたからだ。すると担当者から「本籍地を問うのはその人の出身を探るこ とであり、差別につながる行為だ」と「指導」を受けた。差別する意図があったという前提に立ち、頭から叱りつけるような物言いだった。
「本籍地を問うことが差別につながるなんて知らなかった。それは悪かった。だけど、ちゃんと教えてくれたら理解できるのに、頭から差別者だと決めつけられて本当に口惜しかった・・・」。
そう聞かされた彼女はまったくその通りだと知り合いに同情した。


・40代女性
「部落の人と出会ったことがない」と断言する。けれど一連の報道には「やっぱりそういうことがあるのか」と思ったという。
京都の短大に通っていた頃、通学路の途中に団地があった。そこを通る時、友だちから「このへんは部落で恐いところやから、ここの人と目を合わせたらあか ん」と教えられた。見ると、屋上には「○○反対!」(何に反対していたかの記憶はない)という看板がくくりつけられ、ベニヤ板を張った窓もある。
皮肉なことに、同じ頃、同和問題の授業で見せられたドキュメンタリービデオ『人間みな兄弟』(1960年)の映像が目の前の団地と重なるように感じられ た。同和対策事業が始まる前の劣悪な生活環境や差別の状況を伝えるビデオは、同和教育を受けたことのない彼女には衝撃的であり、別世界でもあった。意味あ りげに「このへんは恐いところやから」と言われると、自分でも何となく恐いような気になり、なるべく早足で通り過ぎるようにした。
「でも子ども用の自転車とかあるし、住んでる人たちも普通の人やねん・・・」
と不思議そうな顔をしながらも、卒業後も「恐い」というイメージだけが残り、今回の報道には「やっぱり・・・」とうなずく思いだった。