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特集



部落問題ありのまま vol.2

2007/11/02


「私と友だちでいるのをやめる?」

しかし本当の「絆」が結ばれた時、人は変わらずにはいられない。それは安孫子さん自身の経験でもある。
「私は小中学校と同和教育推進校で学びました。“狭山事件は冤罪だ”“寝た子を起こすなという考え方は間違っている”といった話は繰り返し聞かされていたけど、本当の意味では理解していなかったと思います」
中学3年のある日、部落問題学習会で「家族から部落に関する話やイメージを聞き取って発表する」という課題が出された。黒板に次々と差別と偏見に満ちた 言葉が書き出されていく。その様子を見ながら、安孫子さんは「嘘がこんなにたくさん広まるわけがない。みんながそう言うなら、事実なのかもしれない」と 思った。
放課後、そのことを仲のいい友人に何気なく話した。彼女は黙って聞いていたが、安孫子さんが話し終えると、真っ直ぐな眼差しで問いかけてきた。
「あのね、私は部落やねん。それ知って、私と友だちでいるのをやめる?」
その問いかけで、安孫子さんは思い知る。仲よく一緒に過ごしながら何も気づかずにいた自分のありよう。黒板いっぱいに書き連ねられた言葉を彼女がどんな思いで見ていたのか。そして、知らないことがどれほど人を傷つけるのかを。
一瞬で悟った安孫子さんは、
「友だち、やめるわけないやろ! 何の関係があるの!」
と叫び、彼女と抱き合って泣いた。
「あの経験があったからこそ、今回、いろいろ言われてもやってこれたと思うんです。同和教育といわれるものをたくさん受けてきたけど、彼女のひと言で、 初めて知識と生き方がつながった。講演会や学習会をすると、みんなかしこまって“差別はいけない”とか話し合っていますよね。でも、自分の生活のなかで“ この人と一緒にいると自分も差別されるんじゃないか”という状況になった途端に態度が変わる。学びと生活をどうつなげるかが課題です。
私はいつもPTAで大事にしていくものとして“友だちづくり”を挙げます。ベルマークを整理するでも何でもいいんです。顔を合わせるうちにいろんな話が できるようになるでしょう。そのなかで友だちになることが大事だと思うんです。まあ、“甘い”とか“方針を出せ”とか言われますけどね(笑)。でも、しん どい時にしんどいって言える友だちがいることが何よりも大事やと思うんです」

差別問題は「自分の問題」だ

茨木での取り組みの大きな特徴は、最初に問題を指摘した人も、それを受けて先頭に立って取り組んだ安孫子さんも、部落の人ではなかったことだ。
従来の「図式」で動こうとした人たちの間には部落差別を受ける「当事者の不在」に対するとまどいがあったという。どんな問題にしろ、当事者をさしおいて 思いを代弁したり行動したりするのはおかしい。しかし今回は、当事者でない人が発言の差別性を感じ取り(発言を自らの痛みとして感じ)、そうした発言が自 分たちのいる場で出たことを「自分の問題」として受け止めた。
安孫子さんの話に自分の実感が重なり、うなずくばかりだった。どんなに人権や差別について語れても、生き方に反映されなければ意味がない。しかし人権や 差別に敏感であることはとてもしんどく、終わりもない。また、差別に対する怒りは社会や他人に向けるばかりではない。自分の心にひそむ差別意識やずるさや 傲慢を見つけてがく然とし、落ち込んで、格闘して、「ちょっとマシになったかな」と思った頃に、またいやらしい自分を発見する。
でもそうやっているうちに、必ず同じ思いをもっている人と出会える。差別は「かわいそうな人の問題」ではなく、「自分の問題」なんだと考え、行動する人。そういう人と出会った時、私は本気で「生きてきてよかったー」と思う。