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特集



部落問題ありのまま vol.4

2008/06/14


「がんばれ」「負けるな」と言う前に

事件によって、浦本さんは深く傷ついた。今も当時の怒りや不安が生々しくよみがえり、苦しくなる時がある。けれども学生時代に遭遇した差別発言の時とは 違い、今はともに怒り、支えてくれる仲間がたくさんいる。解放運動の関係者だけでない。自分も非難される可能性もあるのに浦本さんを守り続けてくれた大家 さんや、「負けないで、一緒にがんばりましょう」と励ましてくれた恵楓園の人たちもいる。報道を見て、あるいはその後の講演を聞いて、「自分も差別を受け ているが、浦本さんに勇気づけられた。自分もがんばる」とメッセージを送ってくれた人たちもいた。
一方で、講演を聞いた人のなかには、「生まれてこの方、部落差別など見たことも聞いたこともない。浦本さんはお若くてしっかりしていらっしゃるのだから、部落などと言って卑屈にならずにがんばってください」と言う人もいる。もちろん、浦本さんは卑屈になどなっていない。
「私が被差別部落に育ったということは、大切な個人史であり、個性でもあるんです。この個性を尊重してほしいし、少なくとも踏みつけにはされたくないということなんです」

浦本さんはさまざまな場面で、「悪意ある」言動には言うまでもなく、「悪意のない」発言にも傷ついてきた。悪意がないからこその堂々とした態度、「善意」 からの励ましには、陰湿な差別とはまた違う衝撃や空しさがある。何しろ相手は、あっけらかんと「自分は差別などする気はない」「差別なんか気にするな」と 言い放つのだから。そこには、人の痛みをまずは受け止めようという姿勢はみじんもない。
差別は極悪非道の人間がするわけではない。「軽い気持ちで」「誰でもよかった」などと驚くほど気軽におこなわれている。しかしその結果は重大だ。この事 件の裁判では、論告求刑の際、検察官が「被害者の人権の回復はもはや不可能である」とまで言い切った。ここでは書き切れない苦悩や慟哭、涙が数え切れない ほどあったのだ。「軽い気持ち」と「深刻な被害」との間にある大きなギャップは何を物語っているのか。  浦本さんの経験から学べることは多い。