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特集



部落問題ありのまま vol.5

2008/10/24


求められるものと求めるもの、その狭間で

部落民を名乗りながらフリーな立場で部落問題を語る角岡さんは、部落問題に自ら切り込むことを避けたいメ ディアにとっては「ありがたい」存在なのかもしれない。自分たちが突っ込みたいところを突っ込んでくれるし、当事者が取材をしたうえで書くわけだから糾弾 される可能性も低いだろうというメディア側の計算もあるかもしれない。
行政や大学など、「人権啓発」が課題の機関にとっても、ちょっとひねった視点で部落問題を語ってくれる角岡さんは貴重なのだろう。最初の著書『被差別部 落の青春』(講談社)を出して以来、角岡さんのもとには全国の自治体から講演の依頼が相次いだ。大阪大学では部落問題の非常勤講師も務めた。どれも「一人 でも部落問題に関心をもってくれるなら」と引き受けてきたが、非常勤講師はすでに辞め、講演も極力断っているという。
部落問題に関する執筆にも「もうええやろ」という気持ちがある。「これから部落がどんなふうに変わっていくかを見ていきたい」と言いながら、ノンフィク ションライターとしては新しい世界、次のステップへ踏み出そうと試行錯誤しているように感じることがある。
「同じことをするのが嫌やねん。それに講演に行く時間があるなら家で原稿書きたい」と真面目な顔で言う。かと思えば、「昨日は4時から酒飲んでしもて、 仕事になれへんかった」と自虐ネタで笑わせる。「1年ぐらいは誰ともしゃべらなくても平気」と妙な自慢をしながら、時々「孤独やねん」とつぶやく。差別落 書きや差別発言に対して「そんなことするやつはどこにでもいる。いちいち糾弾してたらきりがない」と突き放した見方をする一方で、結婚差別で悩む若者の話 にもらい泣きすることもある。
角岡さんは、中学時代から「ここではない世界」に憧れ続けてきたという。偏屈と言いながら人当たりはよく、たいていの人とはそれなりに仲良くなれる自信 もある。しかし常に心のどこかに「ここが自分の本当の居場所なのか」という思いがあるらしい。それは仕事においても同じなのだろう。組織に縛られず、自由 にものを言う立ち位置を確保することを何よりも大事にしている。これからも企業であれ運動体であれ、組織に属することは考えられない。
そんな自分が部落の若者たちにどんなふうに映るのかはわからない。
「でも、ああいう生き方もあるのか、いや、ああいうオッサンもおるんかと一つのモデルになれたらええなあと思ってるねん。ああいうふうにはなりたくないというのも含めて(笑)」

小さくまとまるのはつまらない

部落や部落民に対する一般的なイメージは、「貧しい」「こわい」といったステレオタイプからなかなか脱し きれない。それはすぐ身近に部落があり、部落出身の人がいるのに、「部落の人と出会ったことがない」と思いこみ、だから「知らない」「関係ない」と考えて いる人が実はとても多いことと無縁ではない。「言ってくれたらいいのに」という話ではなく、そういう想像力すらもたない(もたなくていい)自分たちの暴力 性に気づくのが本来の啓発の役割だが、それがなかなか難しい。
そして、部落の側からも壁を作っているという現実がある。「ムラの人間か否か」に非常にこだわるところが今もしばしば見られるのだ。その背景には、「外 の人間」に酷く傷つけられ、仲間と支え合って生きてきた歴史がある。しかし今は仲間内だけで生きていく時代ではない。角岡さんは、どちらに対しても「自分 たちの理解できる範囲だけでまとまるのはつまらんよ」と言っているのだと思う。
「ぼく、部落民なんです」と気負いなく名乗りながら人と出会い、そしてそんな運動も「あり」だと部落の若者たちに伝える。それが角岡さんにとっての部落解放運動なのだろう。