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えん罪を考える

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2010/11/12
なぜ、えん罪事件は繰り返されるのか 浜田寿美男さん


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 いったん自白がなされた事件なのに、あとになって無実であることがわかる。そんなえん罪事件が繰り返されている。「なぜやってもいないのに自白してしまうのか」。多くの人がまず抱く疑問に、えん罪の研究を重ねてきた浜田寿美男さん(奈良女子大学名誉教授、立命館大学特別招聘教授)が答える。

――志布志事件氷見事件足利事件など、えん罪事件が後を絶ちません。共通しているのは、実際はやっていないのに、いったんは「やりました」と認めてしまっていることです。なぜ、やってもいない罪を認めてしまうのでしょうか。


 嘘というと相手をだまして自分が得をするというイメージがありますが、虚偽自白は自分の利益になるどころか、逆に自分の首を絞めかねないものです。だから多くの人は「なんで嘘で自白するんだ」と思うわけですが、それは体験したことがないから言えることです。
 強制力のない任意同行で、参考人として事情聴取される場合でも、実際には犯人として目星をつけられていることがほとんどです。犯人だと決めつけているので、取調官の口調やまなざしは自ずと厳しくなります。警察署の取調室で取調官に囲まれているということも一般市民には相当なプレッシャーです。さらに、犯人だと決めてかかっているプロに無実であることを納得してもらうのはとても大変なことです。任意同行であれば、法的にはいつでも「帰ります」と言える立場です。けれども疑われて尋問を受けている人は、まるでもう逮捕されたかのような気持ちになってしまいます。自分から帰るなどとても考えられず、追いつめられ、自白してしまうのです。

――たしかに取り調べの様子は、なかなか想像できません。そんなに厳しいものなのでしょうか。

 まず、日本ではいったん疑われると、長期間にわたって身柄を拘束されるという問題があります。警察に逮捕されると、身柄を警察署の留置場に拘束され、取り調べを受けます。警察は逮捕から48時間以内に検察に事件を送致します。検察は24時間以内に、被疑者をさらに身柄拘束すべきかを判断します。身柄拘束が必要と判断すれば、裁判所に勾留請求をおこないます。勾留が認められると、身柄は10日間拘束されます。1回延長が可能なため、最大20日間、警察と検察での拘束を含めれば最大23日間も身柄を拘束されます。これは世界的にみると、圧倒的に長い。諸外国では、身柄拘束できる時間はせいぜい1日か2日です。それ以上は拘束下で調べることができません。人間の供述というのはあいまいで、身柄をとった状態で調べるのはえん罪につながる危険性が高いという認識があるからです。
 取り調べ自体も厳しいです。先ほど話したように、犯人と決めてかかっているので、どんな弁解も聞く耳をもたないというのが基本姿勢です。本来、取り調べは「有罪が確定されるまでは無罪として扱う」、つまり推定無罪を大前提としておこなわれるべきなんですが、実際には被疑者を犯人として断固たる態度で取り調べるというのが常態化しています。ある警察官のテキストには、「頑強に否認する被疑者に対し、「もしかすると白ではないか」という疑念をもって取り調べてはならない」と書かれています(増井清彦『犯罪捜査101問』橘書房)。2000年に出された本ですが、最近、書店で改訂版を確認すると、その部分は今も同じでした。
 自分は無実であるとどんなに説明や弁解をしても、「そんなはずはない!」「本当のことを話せ!」とワーワー言われる。それでもやっていないことは言えないとがんばっていると、「家族から話を聞かないといけないぞ」「きょうだいを呼んでくるけどいいか?」「場合によっては親きょうだいも逮捕ということになるぞ」という話になります。すると、「迷惑をかけたくない」という気持ちになりますよね。
 黙秘権はたしかにあります。「わたしはしゃべるつもりはありませんから、留置場で寝ています」と言えるなら、黙秘権を行使する人はたくさんいるはずです。ところが、黙秘権は認めるが、取り調べ受任義務はあるというわけです。取り調べ室に連れて行かれて、目の前でワーワー言われた時、無視し続けることがどれだけ難しいか。
 さらに、たとえば電車内でのちかん容疑でつかまっても、否認を続けているとがさ入れ(自宅や職場の家宅捜索)されます。あるいは、「おまえの会社のロッカーに何かあるかもしれない。否認を続けるなら、がさ入れするぞ」と言うわけです。身柄を拘束され、無断欠勤状態になっているのに捜索などされたら、もう社会的な立場はめちゃくちゃです。
 こうした日本の刑事取り調べの異常さに一般の人はもちろん、捜査官自身も気づいていません。捜査官という強い立場で話を聞いて、時間がくれば家に帰ってくつろいで、翌日にまた来ればいい。でも被疑者は、「自分はやっていない」といくら言っても聞いてもらえず、夜は夜で留置場で監視される。もんもんとして眠れないのに、翌朝になったらまた取り調べ室に行く。そういう構造のなかで、嘘の自白に追い込まれていくんです。
 先ほど日本は拘束時間が長いと言いましたが、尋常ではない状況に置かれた時、人はとにかくその苦痛から逃げたいと思います。足利事件の菅家さんは10数時間で虚偽自白をしました。1時間で殺人の虚偽自白をした人もいます。

――なぜ、そんな形の取り調べになってしまうのでしょうか。

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 取り調べる相手のなかには実際に凶悪な犯罪者もいます。そういう相手には捜査官のほうも強面で向き合わなければやっていけないということで、職業的に強圧的な姿勢を身につけるという側面はあります。ただ、えん罪事件をみていて思うのは、すべての捜査官が同じ姿勢ではないということです。一部に強気な取り調べに突っ走る人がいて、実際にうまくいくこともあります。だからなかなか止められない。そういう人が出世すれば、ますます下の人間は批判できません。警察や検察は上意下達がはっきりしている組織ですから。
 志布志事件はその典型です。捜査官がおじいちゃん、おばあちゃんの自白をとろうとがんばるわけですが、取り調べの過程で「自分たちが間違っているんじゃないか」と思った捜査官はかなりいるはずです。それでも仕事だと割り切った人もいるでしょう。そしてなかには困った捜査官もいて、がんがんやって嘘の自白をするまで追い込んだ。「これはおかしい」と言った捜査官は外されました。
 事件が明るみになった後、「おじいちゃん、おばあちゃんたちもつらかったかもしれないけど、自分たち捜査官もつらかった」と漏らした捜査官もいたといいます。警察を弁護するわけではありませんが、健全な精神の持ち主もいる。対等な議論ができる場ではないということが大きな問題なのだと思います。

――その「突っ走る捜査官」は、本気で拘束した人を犯人だと信じているのでしょうか?

 もちろんです。現場の警察官から裁判官まで、「つかまったやつは悪いやつだ。悪いやつを逃してはいかん」という熱意と善意が彼らを支えているんです。善意ほど怖いものはないと言いますが、警察官の善意と熱意は怖いんですよ。その点では、足利事件のような形で、裁判上の無罪ではなく、物証上も無実としか言いようのない無罪が出たり、後になって真犯人が出たりしたのは警察庁や検察庁にとってもかなりこたえたはずです。自分たちの仕事は「危ない」という認識がようやく少しは出てきたかなという気はします。

――日本の裁判での有罪確定率は99.9%だとか。この数字をどう見ればいいのでしょうか。


 異常だと思いますね。自白事件も含めた数字ですから。否認している事件だと97~98%ぐらいになると思います。やっていないと主張していても、100人のうち、せいぜい2,3人しか無罪にならないということです。それに裁判でも虚偽の自白をしていたというえん罪事件もあります。足利事件の菅家さんの場合も一審の最終段階まで虚偽自白をしていましたし、出所後に真犯人が出てきた氷見事件では法廷でもあきらめてしまい、否認しませんでした。
 つまり起訴されればほとんど有罪という状況なんですが、逆にいえば裁判が機能していないとも言えるのではないでしょうか。検察側にすれば、それだけ厳格に審査して起訴しているということでしょうが、その「厳格な審査」がどういうものかは今までに話したとおりです。ちなみに陪審制を敷いている国は、10~20%の無罪率です。
 有罪が確定するまでは無罪として扱うという大前提で考えれば、身柄をとって本人から事情を聞く必要がある期間が終われば、ただちに釈放すべきです。ところが日本の場合、証拠隠滅や逃亡の可能性があるとして釈放を認めないということが一般的です。もう少し起訴をゆるやかにして、つまり絶対に間違いないというところまでいかずに起訴して裁判に委ねるという発想に立って、そのうえで被疑者はできるだけ早く釈放して、娑婆で日常生活を送りながら法廷で争えるようになればいいのですが。しかし今の日本では、できるだけ厳格に起訴を絞り込んで、ほぼ有罪を勝ち取れる形にしていますから、検察は有罪判決をとることにメンツをかけますし、裁判官も無罪判決を書くのに勇気がいるということになってしまっている。そういうシステムそのものをどう考えるのか、大きなテーマですよね。

――えん罪が生まれる背景には、推定無罪が事実上「推定有罪」になっている取り調べの実態と、それを内部でチェックできない警察や検察のシステムの問題があるんですね。そして、身柄を拘束され、言い分がまったく通らないという状況に置かれた時、人は身に覚えのない殺人ですら「やりました」と言ってしまう心理状態に陥ってしまうと。
 えん罪を生まないために、何が必要ですか?


 今、議論されている「取り調べの可視化」(取り調べの全過程を録音、録画すること)は有効だと思います。それも任意同行で「参考人」としての取り調べの時点から録音テープがなければ証拠として認められないということにする必要があるでしょう。逆にいえば、現状でも自分が参考人として呼ばれたとき、レコーダーを持ち込むことは禁じられていませんから、そうすればいいですね。
 警察や検察は可視化に反対しています。可視化をするなら捜査のあり方をすべて変えなければいけないからです。彼らは「被疑者との信頼関係によって真実の自白がとれるのに、録音なんかすれば信頼関係を築けない」と主張します。ある検察官は「取り調べはざんげの場です」と言いました。「有罪前提」の表れです。無実の人かもしれないという警戒心はまったくない。可視化をすれば、そうした問題がすべて表面化します。
 可視化を逆手にとる犯罪者を取り逃す恐れがあると主張する人もいますが、今のように囲い込んで脅して落とすというやり方には限界があります。力による圧力は真犯人を「落とす」かもしれないけど、無実の人も「落とす」のです。第三者郵便不正事件では、厚労省の局長だった村木厚子さんが逮捕されました。彼女は無実の主張を貫き、無罪を勝ち取りました。その後、検察の不当なやり方が明るみになり、大きな問題になっていますよね。捜査側の信頼を回復するためにも、可視化は必要でしょう。
 ぼくはむしろ、可視化は工夫次第で取り調べる側にも使えると思います。録音をしているところでしか取り調べをしていないという前提条件を明確にすれば、本人から「犯人しか知り得ない情報」がひょこっと出てきた時に強力な有罪証拠になります。つまり捜査側が把握していない情報が被疑者から出てくれば間違いない。可視化を取り調べ手法として有効にするやり方を模索すべきです。

取材・原稿 社納葉子

志布志事件
2003年4月に行われた鹿児島県議選で当選した議員の陣営が住民に焼酎や現金を配ったとして議員、家族、住民らが公職選挙法違反容疑で逮捕された事件。鹿児島県警による強引な取り調べになどによって「自白」に追い込まれたがのちに裁判所が唯一の証拠である供述調書の信用性を否定。被告人全員が無罪となった。

氷見事件
2002年に起きた強姦事件などで逮捕された男性が強引な取り調べにより「自白」に追い込まれ、公判でも起訴事実を認めて懲役3年の刑に服した事件。2006年になって鳥取県警に逮捕された別の男性がこの事件の犯行を自白。富山県警、富山地検が誤認逮捕を認めて謝罪し、2007年に異例の早さで再審・無罪が勝ち取られた事件。

足利事件
1990年5月、栃木県足利市で女児が行方不明になり、翌朝、近くの河川敷で遺体となって発見された事件。犯人として男性が逮捕され実刑を受け服役していたが2009年に男性のDNAと遺留物のDNAの型が一致しないことが再鑑定により判明。えん罪であったことが発覚し、その後の再審で無罪が確定した。

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