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「人種差別撤廃条約」日本加入20年 ヘイトスピーチと法規制 / 大阪産業大学教授 窪 誠さん

2015/09/10


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2015年度のテーマは「戦後70年と人権」。プレ講座の様子を報告する。

「人種差別撤廃条約」日本加入20年 ヘイトスピーチと法規制 大阪産業大学教授 窪 誠さん

ここ数年、急速に拡大してきたヘイトスピーチ。「表現の自由」か「差別禁止」か。そもそも人権が「対立」するとはどういうことなのか。どうすれば乗り越えられるのか。国際人権を専門とされる窪 誠さんにお話しいただきました。

排外主義は世界的に広まっている

 今年2015年は戦後70年、そして人種差別撤廃条約を批准して20年を迎えました。私たちは戦争を反省し、人権が尊重される社会を目指してきたはずですが、現在を鑑みていかがでしょうか。

 そもそも戦後の状況はどうだったのでしょうか。終戦直後、国際連合の設立によって初めて「国際人権」という言葉が生まれました。それまで人権に関わる問題とは国家が国民に対しておこなう不当逮捕や拷問を意味しているととらえられていました。つまり人権とは国内問題であり、国際的な問題ではないということです。ところが国際連合をつくった目的は世界平和を守るためであり、そのなかで実は人権侵害が世界平和を乱す大きな原因であるととらえられたのです。そして1948年、人権は世界全体で取り組むべき、普遍的な問題であるとする「世界人権宣言」が生まれました。その後、次々と自由権や社会権に関する国際規約や人種差別撤廃に関する条約など人権に関わる規約や条約が誕生してきたのです。

 このような経緯があるにも関わらず、現在は世界的に排外主義が広まっています。ここ数年、日本でヘイトスピーチが問題になっていますが、日本だけの問題ではありません。特にヨーロッパでは「外国人出て行け!」と主張するような政党の得票率が上がっています。ということは、日本だけの問題ではなく、世界的に共通する問題があるのではないかと考えられるわけです。

 日本の現政府はヘイトスピーチを取り締まることに対し、「表現の自由を抑圧することになる」と批判的です。憲法学会ですら「表現の自由を守る」という姿勢が強い。これは一見、人権を守るかのような言い方ですが、本当にそうでしょうか。そして果たしてヘイトスピーチは表現の自由の問題か差別禁止の問題か、どちらなのでしょうか。

 私はどちらの議論にも限界があると考えます。表現の自由という観点からいえば、差別されている側の表現の自由はどうなるのか。逆手にとられれば言いたいことも言えなくなります。差別禁止の観点でいえば、「自分は差別される立場にないから関係ない」という人たちがいて、その人たちのほうが多数派です。つまり多くの人たちにとっては「自分には関係ない話」になってしまう。どちらの観点にも問題があるわけです。では私たちはこの問題をどう乗り越えられるでしょうか。

「人権」の名のもとにおこなわれる侵略

 まずは事実を知ることです。そのための知識を獲得することです。私たちはそれを「教育」と表現しますが、実はこれがくせ者です。ギリシャローマ時代に遡ると、学問は支配者のものでした。政治家は人々を言葉で説明、説得し、支配したのです。学校ももともとは貴族の子どもたちのものでした。やがて中産階級が力をもち、自分たちでお金を出し合って学校(パブリックスクール)をつくりました。そこでおこなわれるのはいわゆるエリート教育です。つまり教育とは「支配者の支配者による支配者のための知」が原点なのです。その内容は支配者にとって都合のいいものであることをまずは認識してください。だからこそ、教えられたことをただ鵜呑みにするのではなく、「本当なのか?」と疑いをもち、自分で考えることが大切なのです。

 考える時にはすべての人の共通点から出発するのがいいでしょう。それは「誰もが幸せになりたいと願っている」ということです。幸せになりたくない人はいないはずです。ただ、幸せには正反対の意味があります。ひとつは「結ぶ幸せ」。あなたが幸せなら私も幸せということです。もうひとつは「切る幸せ」。人がにこにこしていると妬ましかったり、差別や貧困などに苦しんでいる人がいても「自分は関係ない」と切り捨てる。「切る幸せ」の最たるものが戦争です。ヘイトスピーチも同様です。

 ここであらためて人権に立ち返りたいと思います。人権には自由権と社会権があります。自由権とは国家が介入してはいけないもの。代表的なものが個人のプライバシーです。社会権とは国家に求めるもの。教育や医療を受ける権利や労働者としての権利です。

 いずれにしても人権というものはヨーロッパの封建制のなか、虐げられた人々が立ち上がって革命を起こし、勝ち取ったものだとされています。しかしそれほど単純な話ではありません。イギリスでもフランスでも市民革命で確立された人権に女性は含まれていません。当初、人権はその国の男性だけのものでした。女性も障害者も有色人種も「人間」に含まれていなかったのです。ですから世界人権宣言のあとに、人種差別や女性差別、障害者差別を撤廃する条約ができたのです。人権という言葉を使う時、それは誰のことなのかをよく考える必要があります。今は「普遍的人権」という表現が使われます。なぜあえて「普遍的」と言うのか。東西冷戦が終わった時、ウィーン人権会議が開かれ、「人権の普遍性」が謳われました。しかしその後、人権の名においてイラク、アフガニスタン、スーダンが爆撃されました。今は人権の名において侵略がおこなわれています。そう考えると、「人権」という言葉が使われる時も慎重に考える必要があります。

市民自らが「何が差別か」を考え、判断する

 ヘイトスピーチの問題を考える時、国家に規制を任せるという発想が危ういことを理解していただけたでしょうか。率直にいうと、現在の日本の規制体制に人権に関する考慮はありません。今の日本の状況で規制法をつくるのであれば、同時に権利擁護の現状をみなければ危険です。特に刑事司法全体の検証、見直しは不可欠でしょう。具体的には代用監獄の撤廃や取り調べの可視化です。

 また、日本には国内人権機関がありません。国から独立した、市民による人権機関の設立が望まれます。フランスでは人権擁護活動を5年継続した市民団体には当事者とともに訴訟を起こせる「訴訟資格」を認めています。

 日本には部落解放運動や障害者解放運動などによる差別糾弾闘争という歴史があります。差別かどうかを"お上"が判定するのではなく、市民が培ってきた経験をもとに基準をつくる作業が必要ではないでしょうか。

 一人ひとりが"ありのまま"を生きられる社会を目指して、歴史を踏まえながらしっかりと考えていきましょう。

(講演日:2015/07/29)


●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度のテーマは「戦後70年と人権」。「ヘイトスピーチと法規制」「性暴力、セクシュアルハラスメント」「同対審答申50年」「基地問題と沖縄差別」「護憲・改憲の前に、まず知憲」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。