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対在特会ヘイト裁判、人種差別と女性差別の複合差別 李信恵さん

2018/10/17


国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議では毎年様々な切り口で人権をテーマにした「プレ講座」を開講している。2018年度のプレ講座では、「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに、研究者や当事者に講義していただく。連続講座の様子を報告する。

対在特会ヘイト裁判、人種差別と女性差別の複合差別 李信恵さん

朝鮮半島にルーツをもつ両親のもとに生まれる

 私は大阪府東大阪市に生まれ育ちました。今、47歳になったところです.東大阪市は大阪市生野区、東京都新宿区に次いで日本のなかで3番目に在日朝鮮人、韓国人が多く住む地域です。

 私はいつも自己紹介する時に「在日朝鮮人2.5世」と名乗っています。アボジ(父)は1928年、日本の植民地下にあった朝鮮半島に生まれ、幼い頃に来日しました。アボジの代からいうと、アボジが1世、私は2世になります。

 オモニ(母)はハラボジ(祖父)とハルモニ(祖母)が明治時代の終わりの頃か、大正時代の初期に日本へやって来ました。オモニが2世になるので、オモニの代から数えると私は3世です。アジアを中心に多くの国では父親のルーツで子どもが世代を名乗ります。その時、女性のルーツはないがしろにされがちなので、私は父親と母親の世代の間をとり、2.5世と名乗っています。

 アボジは子ども時代を岡山県の牛窓で過ごしました。江戸時代に朝鮮通信使が訪れたまちで、朝鮮半島からの伝来の歴史が残っています。戦後、大阪へと移住したアボジはオモニと出会い、私が生まれることになります。オモニが生まれ育ったのは大阪市生野区のコリアタウンと呼ばれる地域の近くです。

 コリアタウンのすぐ横には平野川という川が流れています。大雨が降るたびに大氾濫する川を整備する工事のため、人手が集められました。そのなかには朝鮮半島からやってきた人も多くいて、住みにくい川辺にいろいろと工夫して居住区をつくりました。それが今のコリアタウンの始まりです。

 当時、朝鮮半島は日本の植民地下にあり、仕事を奪われた人や土地を奪われた人が日本に仕事を求めてやってきました。また、済州島や釜山から大阪への直行便があったため、大阪に多くの朝鮮人が住むようになったのです。こうした歴史的背景があることを知っておいてほしいと思います。

路上に飛び出したヘイトスピーチの現場へ

 私の名前をインターネットで検索すると、「反日」「売国奴」「朝鮮半島へ帰れ」といった言葉が並びます。もともとネット上にはこうした差別語や在日朝鮮人へのバッシングは多く見られていましたが、2002年の日韓ワールドカップ共同開催や拉致問題の発覚以降、勢いを増してきました。在日朝鮮人をはじめ、マイノリティをネット上で攻撃する人をネット右翼、「ネトウヨ」などといいます。インターネットの普及によって、これまでタブーとされてきた言説が市民権をもつようになってきました。

 ネット右翼が路上に飛び出してきたのは2004年から2005年といわれています。「在日特権を許さない市民の会」、通称「在特会」ができたのが2006年です。当初はインターネット上で数百人という集まりでしたが、少し前に調べたところ、1万7千人近くになっていました。日本の市民団体としては最大規模です。

 一方、ひどくなるヘイトスピーチに対抗しようと、日本の市民たちが立ち上がりました。過激なデモが多くおこなわれた2013年、反差別を訴える運動、"カウンター"が生まれます。

 私は大学時代からものを書く仕事をしていました。30代になる頃、「専門的なものをしっかり書けるようになりたい」といったん休職し、法律の勉強をするために大学に入り直しました。法律を選んだのは、在日朝鮮人の私が日本人男性と結婚し、子どもが生まれたからです。国際結婚で生まれた息子の法的地位などについて、正確なことを教えてくれる人が身近にいませんでした。ならば自分で勉強しようと考えたのです。

 ライターを休職している時、インターネットの媒体から仕事の依頼がありました。韓国の記事を日本語に翻訳して記事にしてほしいということで、私は引き受けることにしました。

 最初は好意的なコメントが多かったのですが、2011年にYahoo!のニュースサイトでも配信されるようになり、やがて「やっぱり反日の国は違う」「やっぱり朝鮮人は」といった、今でいうヘイトスピーチが増えてきました。

 2013年2月9日、路上でもヘイトスピーチを繰り広げるようになっていた在特会が東京の新大久保でヘイトデモをおこないます。1月にも同じようなデモがあり、K-popファンの女子高生たちが在特会の会長だった桜井誠氏にネットを通じて猛抗議する様子を見ていました。大人である自分も差別の現場に行き、抗議することが大事ではないか。そう思い、私も新大久保へ行くことにしました。

 デモは「殺せ殺せ朝鮮人、ごきぶり、うじ虫、朝鮮人」というコールを参加者で練習することから始まりました。ある参加者は私の目の前にプラカードを突き出してきました。そこには「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」と書いてありました。

 私は日本の公立学校で学び、結婚後はPTAや町内会の活動に参加するなどして、真っ当に生きてきたつもりです。なのにこの人たちにはそんなことはまったく関係なく、朝鮮人という属性があれば殺す対象になるのだと、とても怖くなりました。

 それでも自分の目で見て伝えていくことが大事だと考え、これまでに300回ほどのデモや街宣の現場に足を運んできました。

 一方で、カウンター活動も広がってきました。最初は大きな声で抗議をするのが主流でしたが、黙ってプラカードを掲げる、音楽を流す、風船やお菓子、チラシを配って反差別を訴えるなど、さまざまな表現が生まれています。

判例と法律を生かし、差別を許さない社会へ

 私が在特会のデモの様子をネットニュースで書いた数日後、デモの参加者が「いいデモだった。良い朝鮮人も悪い朝鮮人も出て行け。李信恵を殺そう」とネット上に書き込みました。私の書いた文章やアカウントも貼付けられています。その人を検索してみると、ヘイトデモを何度も主催している人物でした。私の顔も名前も知られているので身の危険を感じ、警察に届けました。書類送検の後、不起訴になりましたが、沖縄出身で東京都在住の20代男性でした。本土ではマイノリティになる人がマイノリティを迫害する活動に参加していることにショックを受けました。しんどさを抱えるマイノリティは分断されがちです。沖縄から出てきた彼が東京で孤独を感じ、仲間を求めた場所がマイノリティを差別する場所だったとしたらとても悲しい。以来、私の胸にはずっと「沖縄」がありました。

 脅迫は日常茶飯事です。たとえば桜井氏は私に向かって「この女に五寸釘を送りつけろ」といった発言を繰り返しました。違う男性からわいせつな動画や画像を毎日のように送りつけられたこともあります。「ブス」など容姿のことを延々と言ってくる人もいます。何度も警察に相談しましたが、「殺す」といった直接的な言葉を使っていなければ刑事事件にできないとのことでした。「李さん、かわいいやん。大丈夫やで」と言われるにいたっては、私のしんどさがまったく伝わっていないと感じました。

 こうした日々が続くなか、「裁判」という考えが浮かぶようになりました。路上にはヘイトスピーチが吹き荒れ、ネット上では毎日のように嫌がらせがくる。警察に言っても埒があかない。日本のなかで最も公平な場所は司法ではないか。刑事がだめなら民事でいくしかない、と。そこで京都朝鮮学校襲撃事件の民事裁判を担当した上瀧浩子弁護士に「もし自分が裁判をするとしたら引き受けてもらえるか」と相談したところ、「いいよ」と即答してくれました。

 裁判は2件で、相手は、保守速報という"まとめサイト"と、在特会の会長だった桜井誠氏です。まとめサイトとは、ネット上にあるさまざまな情報やデータを集約しているサイトの総称です。芸能などもありますが、政治問題に関しては右傾化が激しく、人気のあるサイトでは中国や朝鮮半島に対する悪口であふれていました。保守速報は私についてのヘイト記事を1年間で45本書きました。当時の韓国の朴 槿恵大統領の記事は40本ですから、個人に対する嫌がらせとしては大変な数です。

 桜井誠氏については、私に「当事者格」があることから決意しました。裁判を起こすには原告になる当事者の適格性が必要です。京都朝鮮学校は法人格があるので、学校に乗り込んできた人を相手に裁判を起こすことができました。しかし道端で「朝鮮人は死ね、殺せ」と言っても、現在は罰することができません。2016年にヘイトスピーチ対策法が施行されましたが、刑事罰はなく、現在も野放し状態です。私は直接罵倒されたり「殺せ」と言われたので、訴えることができました。朝鮮人であり、女であり、長期間にわたって桜井氏から名指しでヘイトスピーチを浴びているのは私だけです。「個人で闘えるのが私しかいないなら」と、桜井氏に対する裁判を起こすことにしました。警察にも理解されなかった、人種差別と女性差別とが重なる「複合差別」だということもしっかりと訴えたいという思いも強くありました。

身の危険を感じるなか、提訴の決意を固める

 結果から言うと、2017年11月30日、最高裁の判決が出て、在特会と桜井誠氏との裁判は完全な勝利で終わりました。なかでも女性差別と在日朝鮮人に対する民族差別という2つの差別が絡み合う「複合差別」だと認められた判決内容だったのがとてもうれしかったです。「複合差別」という言葉を判例に残すことで、何が差別だったかが認識され、新しい差別が生まれてこないような土台をつくれるのではないかと思っています。また、2つ以上の差別が重なり合うと、一方の差別----私の場合は女性差別----が見えにくく、解決が難しくなります。たとえば障害のある女性、部落出身で在日外国人など、被差別マイノリティの要素が重なっている人が抱える問題を「複合差別」としてとらえることで、解決への道筋が見えやすくなるのではないかと期待しています。

 保守速報との裁判については、2018年6月28日に大阪高裁で判決が出ました。こちらも複合差別が認められました。また「ほかの媒体で出た記事をまとめただけだ」という先方の主張は認められず、「新たな著作物であり、"まとめただけで責任はない"という主張は通用しない」という判例が出ました。今もネット上ではまとめたり転載したりいうことがよくあるので、責任を追及する判例ができたのはとてもうれしく思っています。

 在日朝鮮人には投票権がありません。そんな私たちが権利を獲得するには運動や裁判が必要でした。高校時代に指紋押捺拒否の運動に関わりましたが、その時に限定的に特別永住者から指紋を押す条項がなくなり、10年後にすべての外国人が指紋を押さなくて済むようになりました。ヘイトスピーチがひどくなってきた時、「これを止める法律をつくるのに、いったい何年かかるのだろう」と思っていましたが、わずか3年でヘイトスピーチ対策法ができました。足りない部分も多くありますが、法律をうまく使って育てていくのは有権者です。日本に住む市民のみなさんが、しっかり意識をもって監視していくことが不可欠なのです。一緒にこの法律を育てていきましょう。そしてさらに、あらゆる差別を許さない包括的な差別解消法ができることを願っています。


●国際人権大学院大学(夜間)の実現をめざす大阪府民会議
同会議では2002年から様々な人権課題をテーマに「プレ講座」を開講している。今年度は「ネット社会を生きる私たちの情報リテラシー」をテーマに5回連続で講座がひらかれた。