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ハンセン病問題は、まだ終わっていない

進まない社会復帰、根強く残る差別

 1996年に「らい予防法」が廃止され、2001年5月には国の強制隔離政策を断罪する国賠訴訟の熊本判決が出された。誤った認識のもと、社会が一体となって進めたハンセン病患者の強制隔離が重大な人権侵害であることがようやく認知されたのである。その後、ハンセン病回復者に対する補償や社会復帰事業が行われてきた。しかし今も社会には根強い差別が存在する。回復者の高齢化が進んでいることもあり、社会復帰はほとんど進んでいないのが実情だ。「らい予防法」の廃止時点で5千人といわれた療養所の入所者は、高齢化に伴う減少によって3千人を切り、10年後には千人以下になるといわれている。
 たとえ病が癒え、国が謝罪しても、人として生きることを奪われ続けてきた年月を取り戻すことはできない。まして根強い差別を温存したまま、ハンセン病問題を終わらせてはならない。ハンセン病問題がこのまま“自然消滅”しても、大きな教訓が生かされないままでは同じ過ちを繰り返すことになるからだ。
 国の過ちを厳しく問うた熊本判決と時の総理大臣の謝罪に対する興奮が冷めるにつれ、国民の関心は薄れてきたように見える。国が過ちを認めたことによって、ハンセン病問題は終息したかのように思っている人も多いのではないだろうか。

ご飯を食べるように、自然に植え付けられた差別心

 このままハンセン病問題を風化、自然消滅させてはならない――。そんな思いでつくられた映画が『新・あつい壁』である。ハンセン病患者であることを理由にきわめて差別的な取調べや裁判がおこなわれ、冤罪の可能性が高いにも関わらず死刑判決が下されたという実話に基づいている。
 監督の中山節夫さんは、社会問題をテーマにした作品を撮り続けてきた。なかでもハンセン病問題は1969年の初監督作品『あつい壁』以来のテーマである。
 ハンセン病国立療養所の菊池恵楓園がある村で生まれ、18歳までを過ごした。戦後の貧しい時代、入所者が持っている衣服と農家が収穫した農作物との物々交換が自然におこなわれていた。伝染病と恐れられたハンセン病だが、療養所に隣接する集落では、子どもでも「小学校へ入る年頃になればうつらない」と知っていた。一方で、療養所から少し離れた私たちの集落には強い差別意識があった。「往診する医者は全身を白衣で包んで土足のまま部屋にあがり、ゴム手袋をはめたままで脈をとると聞きました」。その話を聞いた時は無性に腹が立ったという中山さんだが、自分自身もハンセン病に対する差別や偏見と無縁だったわけではない。「らい病になるなら死んだ方がましだ」という大人たちの会話や刑務所のように張り巡らされた塀、鬱蒼とした桧の森の中に建てられた火葬場などは今も強く印象に残っている。「桧の枝をめがけて石を投げると灰がフワーッと舞い、なんとも不気味でした。そうして、まるでご飯を食べるように、ごく自然に差別を教え込まれていたんだと思います」

 
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