壬申戸籍
 明治政府が作成した日本初の全国的な戸籍。1871年(明治4)に布告された戸籍法により、翌72年から施行された。この年の干支から「壬申戸籍」と呼ばれた。治安を保ち、徴税・徴兵制度を確立するために、国民の現況を把握することが目的として作られたため、現況主義(現住所主義)だった。全国民を対象とした最初の戸籍制度といわれるが、「えた・非人」は含まれておらず、部落民は1871年に「解放令」が出された後に戸籍の対象となった。しかし、部落の所在地に住んでいれば、その住所で戸籍が編製され、しかも戸籍には族称欄が設けられ、そこに「元穢多」「新平民」などと記載されることもあり、身分調べなどに悪用されてきた。
   なお、現況主義のシステムでは、家族の変動などを把握できないため、1889年(明治22)に、戸籍の所在として「本籍」の概念や公開の原則が導入され、戸籍は家族関係事項の登録・公証制度に転換していく。

ウィンドウを閉じる