日本の植民地支配
江華島攻撃(1875年)を契機に、治外法権などを決めた日朝修好条約(1876年)を強いたのを皮切りに、1904年から3度にわたって締結した二国間条約(日韓協約)で日本は朝鮮を保護国下におき始め、1910年の「韓国併合条約」により行政、司法、外交、軍事などの主権を剥奪。日本語の強制や創氏改名をはじめ、日本式の社会制度、習慣、文化への同化、帝国臣民化などを行った。「土地調査事業」もその一つで、土地の所有状況や価格についての調査を行い、その結果、朝鮮の農民から土地を取り上げた。朝鮮半島の農地の約4割が「合法的」に日本に奪われたという。土地を失った農民たちは、生活の方途を求めて故郷を去るしかなかった。朝鮮北部の住民は「満州」へ、朝鮮南部の住民は日本へと移住。前者は中国朝鮮族、後者は在日コリアンの始源である。

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