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化学兵器のような医療技術

 障害をもつ人に対する意識が少しずつでも進んできた一方で、技術はものすごいスピードで「進んで」きましたね。たとえば母体の羊水を採って検査することで胎児の「異常」をチェックする出生前診断。昔は検査そのものがなかったから考えずに済んだのに、産む前に調べられるということが可能になってしまったがゆえに、障害をもつ人と暮らすか暮らさないかという選択ができるような気になってしまう。

安積遊歩さんの写真 本当は、出生前診断自体が危険なんですよ。たとえば胎児がいる子宮から羊水を採るということで流産や障害をもつ可能性がさらに高くなるというのに、そういうことは産む女性にも社会にも知らされません。そして実際は医者や検査会社の金儲けのために行われているのに、いかにも「産む女性や産まれてくる子どものために」検査したほうがいいという言い方がされています。まだまだこの社会の価値観は、「どんな命もかけがえのないもの」というんではなくて、「命よりお金」なんですよね。だから出生前診断とか遺伝子工学とかいう、私にとっては恐ろしい技術が当たり前のように「必要だ」と認識されて、どんどん拡がっていく・・・。経済の理論に基づいた、あるいは命の選別をするための技術は、まるで化学兵器のように人の心にダメージを与えますよね。

「こんな身体で生きてちゃ大変だ」というメッセージ

 化学兵器のような技術が受け入れられる背景には、障害者差別があります。「障害があるとかわいそうだから、生まれてこないほうが本人のためじゃないか」と、何気なく思うんですよね。人種差別も部落差別もひどいけど、たとえば「銭湯に入るな」とか「結婚できない」といった目に見える形で表面化すれば「これはひどい」とみんなが認識できるけど、障害者差別は「こんな身体で生きてちゃ大変だ」という見方が多くの人にとって血肉化してるんです。だから「そういう意識こそが差別を生むんですよ」というところまでもっていくのがそれこそ大変。障害をもつ人自身が何年も抑圧されて、結局「"大変な身体"で生きていかなきゃいけない」というわけで施設で我慢したり、自殺したり。
 私ももちろん同じで、生後40日目から「(障害は)治さなくちゃいけない」と注射を打たれたり、繰り返し手術を受けさせられたりしました。「この身体のままで生きているのはよくない」というメッセージを赤ちゃんの頃から徹底的に与えられてきたから、人間として生きるということがどういうことかわからなかった。「生きていていい」という"オーケー"がないわけですから。

親に“完璧”を求める社会の空気

 私は、障害者運動をするなかで自分に対する肯定感を取り戻してきました。長い道のりだったけど、'96年に娘を産むまではすごく元気だった。今も元気なんだけど、というより娘が目の前にいるんだからもっと元気でいなければいけないんだけど・・・。
 この社会は親に対する抑圧も大きくて、「親は子どもの幸せをつくらなきゃいけない」「親として完璧でなくちゃいけない」みたいな空気がすごくあるでしょう? で、私は自分が生きるということを肯定するためにとってもよくやってきたと思うんだけど、今度は娘のぶんもがんばらなきゃいけない。これがなかなか大変だということを、ここ2、3年つくづく感じているんです。

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