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「基本編」


Q4.部落は、どのようにしてできたのですか?

中世にかたちづくられ、近世にはかなり固定化されました。

現在の部落の人たちにつながる集団は、まず中世の社会的差別によってかたちづくられました。そして江戸時代に入ると、その人びとは法的、制度的に「穢多(えた)」身分などとして固定されてゆきます。この賤民身分の人びとの居住していた地域が、今日の一般的な被差別部落につながっていると考えられています。

残された記録によれば、古いものは11世紀初頭から12世紀半ば(平安時代)に登場することが確認されています。当時の部落の人びとは河原に居住し、死体処理などの雑業に従事していたことから「キヨメ(清目)」とも呼ばれていました。13世紀末、鎌倉時代の辞書『塵袋(ちりぶくろ)』には、この「キヨメ」が「エタ」と呼ばれていることが記されています。つまり中世のはじめのころには、一番古い部落がかたちづくられていたのです。こうした背景には、当時、社会に広まりつつあった【「ケガレ」意識】が関係していると考えられています。

中世をつうじて、こうした集団が各地に置かれてゆきます。そして「ケガレ」意識の広まりとともに、人びとの差別意識は強化されてゆきました。彼らは河原に居住し、皮革をつくることから「河原者」や「かわた」とも呼ばれるようになってゆきます。戦国時代になると、軍事物資として皮革製品の需要が増大しました。すると戦国大名は「かわた」に対する統制を強めてゆきます。

江戸時代にはいると、差別は法制度化されてゆきました。近世の戸籍にあたる「宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう)」には、「穢多」「皮多」などの記載が多く見られるようになります。これは、結婚や仕事で居住地を移動する際の身元証明に用いられたため、これらの身分を脱することはほとんど不可能になってしまいました。また幕府と藩は、被差別民が農民や町人に紛れ込むことを禁止し、居住地や日常の衣服にいたるまでを規制するようになりました。

【「ケガレ」意識】
日本の仏教、神道などにおける観念のひとつで、清浄ではない、汚れている状態をおそれ、遠ざけようとする意識のことです。物理的なものというよりはむしろ、死・産・血などにまつわる観念的なものとして、とらえられています。
とくに「キヨメ」の人びとが担っていた、人間や動物の死にかかわる「ケガレ」は「死穢」といわれ、不浄なものとされました。