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「福祉・医療」
ハンセン病


4 隔離政策はどのように進められたのでしょうか

 

日本ではハンセン病患者が強制的に療養所へ隔離されていきましたが、日本政府はどのような隔離政策を進めたのですか?

日本ではハンセン病患者が強制的に療養所へ隔離されていきましたが、日本政府はどのような隔離政策を進めたのですか?

 

法律を制定し、それを根拠に隔離政策を進めました。1907年に、法律第11号「癩予防ニ関スル件」を制定し、家や地域から追い出されて野外で生活するハンセン病患者をまず隔離収容の対象にしました。この法律をもとに1909年、全国を5つのブロックに分けて道府県が共同して運営する公立のハンセン病療養所を開設し、隔離収容をはじめました。

 その後、日本が戦時体制に進むなか、「日本民族の質の向上」「民族浄化」というスローガンが掲げられ、全てのハンセン病患者を隔離収容するために、1931年、「癩(らい)予防法」(旧法)を制定し、野外生活している人びとだけでなくすべてのハンセン病患者を地域社会から徹底的に追い出し、ハンセン病療養所に入れる政策を推進しました。

 戦後の1953年、新たに「らい予防法」(新法)が制定されました。この制定の過程では入所者たちの強い抗議や反対運動がありましたが、1951年の参議院厚生委員会「らいに関する特別小委員会」において、当時の療養所所長3人がさらに強制隔離を強める法の改正を求めたため(3園長証言)、入所者たちの反対を封殺し、旧法と同様の終生絶対隔離を柱とした「らい予防法」を成立させました。法律をつくってまでハンセン病患者を隔離するくらいだから「うつる、恐ろしい病気」という認識を社会に植え付けてしまいました。

 このことから国、地方自治体、市民もこの法律にもとづき「無らい県運動」を強化し、さらに厳しい終生絶対隔離政策を遂行していきました。以後、入所者たちの強い反対運動で1996年に法が廃止されるまで、この隔離政策は、89年間にわたって続けられました。

*執筆協力:社会福祉法人恩賜財団大阪府済生会 ハンセン病回復者支援センター