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アルツハイマー病の妻・君子さん(78歳)を介護して15年になる京都市の医師谷口政春さん(79歳)。谷口さんがこの病気に「記憶泥棒」と名づけた通り、すでに記憶も、言葉も失い、寝る機能までを奪われてしまった君子さんだが、妻を見る谷口さんの表情は温かい。「この病気ですら、心と感性は奪われない」と静かに微笑むのだ。ピンチと失敗の連続だったという介護のなか、困ったら「助けて」と声をあげることで介護の本質を学び、その喜びから感動をくりかえし体験してきた。「妻がそばにいることが私の支え。自分のために介護をしているというのが本音かもしれません」。
谷口さんの朝は早い。妻のすべての生活機能が奪われた今は、日の出とともに抱えて起こすことから1日が始まる。1~2時間をかけて朝食を作り、介助時間も含めて約1時間の2人の朝食。その後、オムツ交換をして、寝たきりにならないようにと毎日手をつないで散歩に出る。大便の出る日は、その後に入浴。すぐに昼食、続いて夕食の時間がやってくる。就寝時間になると、また抱えて寝させる1日だ。 妻の病気がわかったのは、私の定年退職を目前にした15年前。「泥棒に財布を取られた」と、職場である病院にたびたび電話をしてくるようになり、買物に行けば何回も同じものを買ってくる。冷蔵庫にも食卓にも棚の上にも、鯛の刺身が並んだことがありました。アルツハイマー病と診断された時はさすがにショックで、ドイツの医学者アルツハイマーが最初に報告した女性が4年半で亡くなっていることから、妻もそれだけの命かと覚悟をしました。 天使のようなヘルパーさんに教わった「介護のイロハ」
病院に顧問として残った私は、土・日曜日以外は仕事です。平日は近所の人や妻の友人に助けを求め、休日には痴呆の進行を少しでも遅らせたいと、外に連れ出すことから始めました。散歩や花見をはじめ、南座で芝居や顔見せを観たり、音楽を聞きに行ったり。旅行にも行きました。 それからは草津に住む娘が週2回来てくれることになり、残り3回はホームヘルパーさんを頼むことになったんです。私が仕事で留守にするのは4時間。ヘルパーさんとは3時間契約で、直接顔を合わせることができないため「連絡ケアノート」を作り、最初のページに「話し相手を期待します」と書きました。ヘルパーAさんは、とても優しいうえ、ほめ上手のおだて上手。妻と一緒に買物に行き、散歩に行き、一緒にそうじをして、退屈させなかった。連絡ノートには楽しそうな毎日の出来事が書かれ、ヘルパーさんの人柄が伝わってきました。 |