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IT革命は成功するのか。カギを握るのは私たち自身です

2001/05/02


IT(情報技術)の進歩によって、チャレンジド(障害のある人)の意識や生活が大きく変わりつつあるという竹中ナミさん。そしてIT革命真っ最中の現在は、日本の障害者福祉の大きな転換期でもあると指摘します。これから変わりたい人、周囲を変えたい人に向けて、パワフルなメッセージを語っていただきました。

眠っている力を呼び覚まそう

この頃、「チャレンジド」という言葉をいろんな場所で目にするようになりました。インターネット上、行政の公文書、研究者の論文・・・いろいろな文書のなかで使われているのを見るにつけ、この言葉が広く認知されてきたのを実感します。障害がある人自身からも、「”神から挑戦すべきことを与えられた人々”という意味がこめられたこの言葉を知って、すごく嬉しかった」というメールがいっぱい届きます。だから言葉って、侮ってはいけないんですよね。言葉によって意識が変わるということは、すごくあると思います。

「チャレンジド」には「自分のなかにいろんな力が眠っているよ」というメッセージも含まれています。でもその力に本人も周りも気付かなければ、同じ場所にずっととどまっていることになります。何かのきっかけで自分の力に気付いて、それを生かそうと努力し始めた時に世界はどんどん開かれていく。プロップ・ステーションの役割というのは、そのきっかけづくりです。

最終的には本人が変化しなければ、何も始まりません。ただ、変化しようとする時に、目標があれば行動しやすいですよね。「自分と同じような状態だったあの人が、あんな風になった」という具体的な例があれば、「じゃあ、私もがんばってみようか」と思えるじゃないですか。プロップの活動のなかから、誰かの目標になるような人が一人でも二人でも出てくれば、きっと何十人も「自分もやってみよう」という人が生まれると思っています。

もう少し具体的に言うと、たとえばなぜ人間はわざわざ過激な、あるいは厳しい訓練が必要なスポーツに挑戦するのか、ということです。要するに人間は、「自分を磨くためにはリスクも負う」「自分が欲しいものを掴むためにはリスクも伴う」ということを、本来わかっている生き物なんだと思うんですね。その感覚に障害の有無は関係ないんです。
そのリスクは「勉強」だったり「投資」だったり、人によって違うでしょうが、今まで外に出たことがなかった人にとっては「身の危険」というリスクかもしれません。家から一歩出れば車も走ってるし、電車も通ってる。ぶつかってくる人だっています。そういうリスクを自覚し、ひとつひとつクリアしながら、「次へ進もう」という意識を持てるかどうか。究極のところは、そこだと思います。
もちろん、性格にもよります。だからこそ、機会の平等が必要なんです。これまでは、「障害がある人はみんな守ってあげないといけない」という視点だけでした。「いらんお世話や」と思う人もいるのに、とにかく守ってあげるのが福祉やと思われてきたわけですよね。

「できること」と「できないこと」を自覚する

チャレンジドの周りにいる人にも、同じことが言えると思います。特に、お母さん。お母さんという個人がどう変化するかは重要なポイントですね。子どもが変わればお母さんも変わる、お母さんが変われば子どもも変わる、という相乗効果が出てくればどんどん道が開ける。でも過剰な責任感や過剰な保護意識に固まってしまっていたら、同じ状況にとどまるしかない。
昔は「障害をもつということは不幸や」とか「障害児がいるということは不幸や」という考えがドシーッとありました。そこへ「いや、そうじゃない。この子がいるから私はこんな生き方ができるんだ」というお母さんが現れた。ほんのわずかでもそう考える人が出てきたのがきっかけで、今はたくさんのお母さんが堂々と「この子がいてよかった」と言うてます。
結局、世の中ってごく一部の、「変えよう」と思う人たちが力を合わせて変えるきっかけをつくるんですよ。で、ちょっとしたきっかけで道が広がると、「私もそっちに行きたい」という人がどんどん出てくる。
「茨の道でも行こう」という人、「広がった道なら行こう」という人、「どこまでいっても歩きません」という人・・・。いろんな人がいるのが世の中だし、それでいいんです。ただ、人がどう言うかは別にして、自分が心地よく生きていくためにはどうすればいいのかということを求めていけば、おのずと行動が決まってくる。よく「私、竹中さんのようにはできません」と言われますが、私は自分が心地いいことをやってるだけなんです。まして「私のようにがんばってください」なんておこがましいことを言う気はまったくありません。だって、一人一人の心地よさは十人十色やもんね。

私がこういう活動を始めたのも、重度心身障害をもった娘が生まれたのがきっかけでした。もともと私は他人が敷いたレールに乗るのが嫌いだし、レールそのものを疑う性格なんです。だから娘のことについてもあらゆるお医者さんや福祉関係者やヒハビリの大家と言われる人たちに会っては質問攻めでした。しまいには「もうあんたには来てほしくない」と言われたぐらい(笑)、とにかく聞きたくて知りたくてしょうがなかった。その性格が、障害のある子が生まれてきたことで、いい方向に生かされたんですね。そう思ってるのは自分だけかもしれへんけど(笑)。