ふらっとNOW

暮らし

一覧ページへ

2008/07/01
罪を犯した障害者も共に暮らせる社会へ


山本さん

 

刑務所が一番暮らしやすかった

その生い立ちを振り返ると、受刑者となった知的障害者のほとんどが、過去にすさまじい虐待を受けたり、あるいは、ネグレクトされ続けた過去を持っています。劣悪な生活環境の中で、生きていくために無意識のうちに起こしてしまう窃盗(万引きや自転車泥棒など)や詐欺(無賃乗車や無銭飲食など)。知的障害者は軽微な犯罪でも執行猶予がつく率が低く、実刑になってしまうケースが多いんです。軽微な罪にもかかわらず、警察に検挙され取り調べを受けた場合でも、自分を守る言葉や反省の言葉を発することができない人が多く、結果的には反省なき人として、実刑判決を受けることになってしまうんです。健常者であれば、不起訴、あるいは執行猶予というようなケースの犯罪でも、彼らの場合、実刑判決となってしまいます。
えん罪も多いですね。たとえば、2005年、栃木県の宇都宮市で強盗傷害事件の犯人として捕まった知的障害者の男性のケースなど、ひどい実刑がたくさんあります。このケースでは、たまたま真犯人が別の強盗事件で逮捕されたので、すでに服役間際だった知的障害者の無罪が証明されたのです。その知的障害者の男性は、いとも簡単に誘導尋問に引っかかり、やってもいないのに「自分がやりました」と虚偽の自白をさせられていたんです。
こうしたえん罪事件以外にも、軽微な罪であるにもかかわらず、非常に厳しい刑罰を受けている障害者もたくさんいます。彼らは重い刑を被せられても、弁明する術も知らず、取調官や裁判官の質問に対して、おうむ返しの返事しかできない場合が多いんです。裁判でも、心神喪失のような状態になり被告席で素っ裸になって喚いていた人が、刑法上、責任能力なしとされる「心神喪失」を認められることもなく、かえって危険人物視されるようなかたちで、長期の懲役刑を受けたりしている。裁判官は、突飛な行動を取ってしまいがちな彼らを理解しようともせず、再度、理解しがたいような犯罪をやってしまうのではないか、と短絡的に決めつけ、必要以上の罰を負わせています。
中軽度の知的障害者は、刑務所の中では障害者と認められておらず、医療刑務所ではなく一般刑務所に服役することになります。そして、出所後きちんと社会復帰している元受刑者はごく少数です。出所者の再犯率は5割といわれていますが、残りの5割が社会復帰してるのかといえば、そうではありません。自殺したり、ホームレス状態になってる人がほとんど。彼らも社会復帰して、社会の中で労働に従事しながら生きていったほうが、社会全体にとっても利益になるに決まっているんですがね。
しかし、最近は異端な人、これは少しばかり変わっていると見られるような人も含めてですが、そうした人たちに対するの警戒心が社会全体に芽生えてきて、結果、社会防衛的な意識のもとに社会から排除しようという流れが強まってきています。人権、福祉だと言いながら、世の中全体が彼らを排除して清々している、そんな危険な雰囲気になってきています。それは最近流行の「KY」という言葉が象徴しているじゃないですか。「その場の空気を読めない」というような障害を、生まれながらに負っている人はいっぱいいるんです。「KY」という言葉は、そんな人たちを社会から排除しようとする風潮に免罪符を与えているようなものです。

「障害者白書」によれば、現在、日本の知的障害者数は約50万人だが、この数は単に療育手帳所持者の数にすぎず、実際は300万人前後と推測される。しかも、この療育手帳所持者でさえ、約9割の軽度の知的障害者には、福祉の支援がほとんど行き届いていないのが現実だ。先進国の中で日本ほど障害者福祉に投じられる資金が少ない国はないという。こうした中で、健常者と折り合いをつけて暮らすことも苦手で、社会の中での居場所を失い、悪条件が重なって受刑者となってしまう現実。出所しても、受け入れ先などまったくないに等しく、2004年の出所者総数約3万人のうち、社会福祉施設で受け入れられたのはわずか24人である。

刑務所に多額の税金を使う前に、福祉の充実を

山本さん 障害者福祉も2003年より「措置」から「契約」の時代に変わり、06年には障害者が地域の中で生活をし、福祉サービスも自分自身で選択していくという「障害者自立支援法」が施行されました。ベクトルとしては非常に正しいのだけれど、やっぱり軽度の人は福祉的サービスがなかなか受けられないのが現実です。
基本的に障害者福祉は現在、高齢者医療と同じ方向に向かっていて、一人で歩いたり食事をしたりできるなら一人で暮らしなさい、という方針。障害者支援策を、医療的介護、身体的介護に絞り込もうとしているんです。ですから、身体的障害も重複している重度の知的障害者しか、福祉につながらなくなっていくのです。
ところが、実際には軽度の知的障害者のほうが、はるかに社会適応困難度という意味では、重い障害を負っているのではないかと思います。というのは、身体的な障害のある人と違って、軽度の知的障害者の場合は、ほとんどの人が外見では、その障害が分からない人たちですから、周りの人も障害者ではなく、単なる「変わり者」と見てしまうことが多い。そして、手を差し伸べられる対象ではなく、忌み嫌われる人になってしまう可能性が高く、そうなると、福祉の支援を受けるどころか、社会の中で居場所まで奪われていくんです。
健常者であっても、なかなか暮らしづらい世の中になってきている今、彼ら軽度の知的障害者は、福祉の手も借りずに必死に生きているんです。周りの人たちの無理解、あるいは誤解と偏見、こうした状況のもと、本当に彼らは大変な生活を強いられています。 
本来なら、カウンセリングや認知行動療法とかを受け、そうしたトレーニングの末、ソーシャルスキルなどを身につければ、彼らだって生きる上での選択肢は広がっていくはずです。ところが、多くの福祉の現場がやってるのは、障害者を施設に囲い込み、たまにアミューズメント施設に連れて行ったり、といった娯楽的支援の方向。トレーニングというと厳しいかもしれませんが、軽度の知的障害者にとっては、そこで身につけたスキルは、その後の人生を豊かにするものとなるでしょう。しかし、今の福祉には、そういう視点はほとんどありません。
日本の場合、財政ありきの福祉で、そんな中、知的障害者の福祉というのは非常にお寒い状態といっていいですね。療育手帳も自治体によって呼び名も認定基準も違いますし、知的障害者の認定数も全体の20%ほどに絞り込んでしまっている。非常にお粗末なことです。
実は、私も知的障害者に対して認識不足でした。議員時代に視察していた福祉の現場といえば、重度の人たちばかりがいる障害者施設で、彼らのような人たちだけを障害者だと思い込んでいた。ところが、知的障害者の9割以上は地域の中で暮らしている人たちです。昔からそういう人たちは身近にいて、仕事にも就いていて、周辺の人たちとも折り合いをつけながら一緒に暮らしてきたはず。けれど最近は、社会の構造が、情報化社会、競争社会へと変貌していく中、社会に暮らす障害者の人たちは、どんどん住みづらくなっている。そんな社会の中で、自立して生きろと言われているのです。
日本の障害者福祉予算は、対GDP(国内総生産)比でいうと、北欧の8分の1、西欧の5分の1ぐらいで、アメリカと比べても2分の1以下。先進国の中で、障害者福祉にこんなに金を使っていない国はありません。

関連キーワード:

一覧ページへ