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罪を犯した障害者も共に暮らせる社会へ

2008/07/01


山本さん

触法障害者の支援に向けて

最近では厚生労働省も随分変わってきて、2007年12月に策定された「障害者基本計画」の今後5年の重点項目の中で、「矯正施設にいる障害者の地域生活支援」という項目が初めて盛り込まれました。これまで厚生労働省(福祉)と法務省(矯正)との情報や状況認識の共有はほとんどありませんでしたが、この両省が連携し、刑務所内の障害者の問題に目を向け始めたのです。さらに民間主導ではありますが、「生活再建相談センター」など出所した障害者を受け入れるシェルターも徐々に開設されつつあります。
2006年には、厚生労働省の研究事業として「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究班」が発足し、私もその研究メンバーとなっています。この研究班は、単に調査研究を行うだけではなく、出所した障害者に帰住先や仕事を準備する、といった実践活動にも取り組んでいます。就労や住居などが事前に用意されることで、出所後の選択肢はかなり広がるはずです。そして、その後の生活状況は、かなり好転していくことになると思います。
私自身、出所後は地道に福祉に関わりながら、できるだけ目立たず大人しく暮らしていこうと思っていました。ですから、本の出版なんて、まったく考えてもいませんでした。でも、自己反省記としてまとめた文章を繰り返し読む中で、少しずつ気持ちが変わってきたんです。自分が経験したことをお知らせすることによって、刑務所の中の現状を少しでも世の中に伝えることができれば、と考えるようになったんです。
そうした経緯で出版した『獄窓記』ですが、この本に対して、福祉関係者をはじめ、司法関係者、果ては行政まで意外なほどの反響がありました。障害者福祉も矯正行政も、ある意味ターニングポイントというタイミングで出版したことも大きかったと思います。関係者の間では薄々は気づいていて、それでも見て見ぬ振りをしてきた福祉や刑務所をめぐる障害者の問題、それが今、同じような問題意識を持つ人が結びつき、徐々に現状を変えていこうとする輪が広がっています。
出所して1年半ぐらいは引きこもりに近かった私も、そうした中で、ようやく社会における居場所を見つけたという段階です。

今、刑務所が徐々に変わろうとしている。明治時代に制定された「監獄法」が2006年5月に全面改正され、「受刑者処遇法」が成立したのである。これによって、それまでの刑務作業中心から矯正教育の重視へと転換。受刑者に罪種別更生プログラムの受講が義務づけられた。また、PFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)方式の刑務所もでき始めている。民間の資金力や経営ノウハウなどを活用する半官半民の刑務所で、運営者としても多くの民間人が加わるものだ。

変革を遂げつつある刑務所

2006年まで約1世紀の間、手つかずのまま残っていた「監獄法」。この法律は、「刑務所というところは、犯罪者をぶち込んで出所するまでただ管理しておけばいい」というような発想に基づいてつくられたもので、受刑者の更生や矯正という視点はありませんでした。それが2年前、「受刑者処遇法」に変わったというのは、大きい変化でしょうね。監獄法のままではPFIなんてできなかったでしょうし、このPFI刑務所の開設によって民間の目が塀の中に向けられるのは、とてもいいことだと思います。
今、全国に約70カ所の刑務所がありますが、2007年4月に第一号のPFI刑務所となる山口県の「美祢(みね)社会復帰促進センター」が運営開始。続いて10月に兵庫県加古川市に「播磨社会復帰促進センター」が開設しました。ここは「特化ユニット」として知的障害者を120名収容。私はこのPFI刑務所の運営アドバイザーとして、受刑者処遇に関っています。障害のある受刑者に対しては、彼らの障害特性にあった処遇、そして、彼らの社会復帰に向けた支援活動を行っています。福祉的スキルをもった民間の臨床心理士や社会福祉士なども処遇スタッフとして10数名採用して、障害のある受刑者に対し、生活訓練や社会適応訓練、さらにはロールプレイなど心理的アプローチなども行ってもらっています。
同じく10月には栃木県に「喜連川(きつれがわ)社会復帰センター」が開設して、500人の障害者専用ユニットが作られています。そして、2008年10月からスタートする「島根あさひ社会復帰促進センター」では、「播磨社会復帰促進センター」同様、私自身、特化ユニットの運営に携わる予定です。まあ、これでPFI刑務所の新設は打ち止めかもしれませんが、PFIで効果ある処遇が実現できれば、それを既存の純国営の刑務所でも生かせるのではないかと思っています。

「不審者にするか、隣人になるか」は意識次第

まだPFI刑務所の運営は始まったばかりですが、障害のある受刑者の社会復帰については、やはり困難な面が多々あります。元受刑者を社会で引き受けてもらえるかとなると、そうは簡単なものではありません。しかも障害のある人となれば、なおさらです。しかし、私は処遇や教育よりもより重要なのが、この社会復帰支援だと考えています。刑務所の中でいくら素晴らしい処遇や教育を受けたとしても、やはりきちんと社会復帰後の行き先などが決まらないと、教育内容を身につける上でのモチベーションは湧いてきませんからね。
ところで、日本の刑務所の中というのは、世界中のどの国よりも高齢者が多く、断トツに高齢化が進んでいるんです。これは単に高齢化社会を投影しているわけではありません。欧米各国でも社会の中の高齢化は進んでいますが、刑務所内の高齢化率は、日本と比べ、どの国も5分の1ほどです。なぜ、こんなにもわが国だけが塀の中の高齢化率が高いのか。それは日本の刑務所に収監されている高齢者の実態を見ると、その理由が分かってきます。高齢受刑者のほとんどが再犯者なんです。これはどういうことかと言うと、要するには日本の社会は、一度罪を犯した人に対して非常に冷たい、寛容度が低い、社会復帰がしづらい社会ということを示しているわけです。出所後に社会での居場所がない人たちが、結局、何度も何度も軽微な罪を繰り返し、刑務所を終の棲家としてしまっているんです。
今、全国の刑務所に約7万人受刑者がいて、毎年3万人以上が出所しています。つまり、半分弱ぐらいの受刑者は、毎年入れ替わっていることになります。毎年3万人以上の受刑者が出所する現在、その出所者たちは、いつ隣人になってもおかしくない人たちです。北欧では、中学生の頃から、こうした視点での教育が行われていて、国民の間に「罪を犯した人を単に罰するだけでなく、きちんと更生させて、社会の一員としてして納税者になってもらった方が国全体にとって有益」といったコンセンサスがあるようです。
そこでわが国においても、出所者の居場所をつくっていくためには、一般の方にまず刑務所の現状を知ってもらうことが大切だと思います。刑務所に入ってたということで、相当凶悪な人だろうと誤解されがちなのですが、そうした人たちはほんのわずかで、多くの出所者は本当に弱い人たちなのです。
やはり、一番重要なのは社会の中にいる私たちの意識を変えることだと思います。このまま刑務所というところを、社会から排除された人たちを閉じ込めておく場所として使い続けるのか、それともこうした現実を変えていくのか、今まさに、日本社会の成熟度が問われているのではないでしょうか。

(2008年5月・インタビュー text・上村悦子)

山本譲司(やまもと じょうじ)
1962年北海道生まれ、佐賀県育ち。早稲田大学卒。都議会議員を経て衆議院議員。2001年に秘書給与詐欺で実刑判決を受け、黒羽刑務所に服役。出所後は都内の知的障害者入所更生施設に支援スタッフとして通いながら、執筆、講演活動を続ける。受刑生活をつづった『獄窓記』を2003年出版。2004年同書で新潮ドキュメント賞を受賞。2006年より「播磨社会復帰促進センター」「島根あさひ社会復帰促進センター」などPFI刑務所の計画立案や運営に参加。厚生労働省の「罪を犯した障害者の地域生活支援に関する研究」の研究員および日本社会福祉士会「リーガル・ソーシャルワーク研究委員会」の委員を務める。他の著書に『累犯障害者』(新潮社)、『続獄窓記』(ポプラ社)など。

●本の紹介●
 
獄窓記
獄窓記
『続獄窓記』ポプラ社
獄窓記