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多民族共生

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2002/11/29
松山猛さん(作家) 僕らの周りには渡れない「イムジン河」がたくさんある


「南北分断で人々がかかえる哀しみを、伝えたかっただけ」

フォークルの懐かしい歌声が蘇った「イムジン河」
フォークルの懐かしい歌声が蘇った「イムジン河」

その後も跡を絶たない人と人の争い。ベトナム戦争も、アメリカの黒人差別も、ごく身近で起きていた国籍が違うだけで結婚できない人たちの問題も・・、僕らの周りには目に見えない境界線、渡ることができない「イムジン河」がたくさんあることを知らされました。だからこそ「イムジン河」を初めて聞いた感動を、大人になるまで持ち続けていたんだと思うんです。
10代の終わりに、コミカルな歌で人気のあったフォークグループ「フォークル」と仲間になり、相変わらず続く世間の差別意識を変えるためにも、まず身の周りから人間の自由や平等を音楽で訴えようと、加藤和彦くんに「大切にしている歌がある。歌ってくれないか」ともちかけた。聞き覚えた旋律を加藤くんが採譜し、2番3番の歌詞は、「南北がいつかひとつになれば」という気持ちをこめて、僕が書き加えることになった。そこで誕生したのが僕たちの「イムジン河」でした。
初めてコンサートで歌った時、会場は今まで体験したことのない静けさにつつまれ、演奏が終わっても静まりかえったまま。しばらくして嵐のような共感の拍手が起こり、それは感動的でした。でも、それも商業音楽などやる気はないアマチュア時代のこと。それぞれが学業に戻る時、解散記念にと「帰ってきたヨッパライ」や「イムジン河」を入れた300枚のアルバムを作ったんです。

その中の1曲「帰ってきたヨッパライ」がミリオンセラーとなり、「イムジン河」が第2弾として東芝音工(現在の東芝EMI)から発売されることになった。関係者はだれも曲の由来を知らず、朝鮮民謡だろうと作者不明のままシングル盤13万枚のプレスが済んでいた。ところが発売直前に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に作者がいて、原詞と違う、日本語歌詞も認めないという抗議があった。作詞は北朝鮮の国歌にあたる「愛国歌」を書いた朴世永(パク・セヨン)、作曲は高宗漢(コ・ジョンハン)。1968年2月、政治的配慮から発売自粛となった。

当時、京都の小さな広告代理店のグラフィックデザイナーだった無名の僕には、きちんとした説明はほとんど何もなかった。「我慢してくれ」のひと言。人間関係がおかしくなり、新聞には「盗作か?」と書くところもあり、説明しようにも誰も聞きに来てくれる人もなく、自分の胸にしまい込むしかなかった。「めちゃくちゃにこんがらがって、放ったらかしになった毛糸玉みたいな状態」でした。あの理不尽な思いは、分断された朝鮮半島の人々の思いと共通するのかもしれない。結局は自分が強くないと負けてしまう。このことがあったからこそ、僕は何にも縛られず自由に生きる道を選んだんです。

人と人の心を隔てる問題を、見つめ直すきっかけに

「イムジン河はいろんな人と人の心の隔たりの象徴かもしれない」と松山さん

「イムジン河はいろんな人と人の心の隔たりの象徴かもしれない」と松山さん

その後、デザインの勉強に上京し、いつの間にか物書きもやるようになり、結婚して子どもも生まれ、そのときどきを懸命に生きてたけれど、過去を振り返ると、ふと思い出していた「イムジン河」。でも、それ以上に覚えてくれていた人がいっぱいいた。この曲を世に出したいと思ってくれてた人は、想像以上にいたんです。その一人が同じマンションに住んでいた在日コリアンの友人。彼から「あの歌を日本語にした松山さんがイムジン河をまだ見てないなんて」と言われ、共に38度線への旅に出たのが7年前の冬。
軍事境界線という現場を自分の眼で見たことで、改めて半島の分断について考えさせれました。その時は凍てついていたイムジン河にも、夏には機雷が浮いていたりするそうで、統一展望台の向こうには大きな北朝鮮の旗がはためいていた。そして、境界線の地下には北朝鮮が掘ったとされる急勾配のトンネルがあり、その先には見えない1本の境界線に向かって見張りの兵士が立っている。青春の時期に心を痛め、気になっていたことが、レコードの発売中止という事実も含め、30年近く経った今も、状況が何も変わってなかったことにすごいショックを受けた。「イムジン河」は、まだ終わっていない物語だったんです。

もう一度、僕にできることがあるとすれば、さまざまな現実を次の世代に気づいてもらうためにも「イムジン河」を世に送り直すこと。朝鮮半島の問題だけではなく、だれの身の周りにもある親子や人間関係の断絶など、人と人の心を隔てる問題を語り合い、見つめ直すきっかけになればいいと、また、音楽を通じてなら理解の糸口になるのではと考えたんです。新しいレコーディングのためミュージシャンの息子・輝(ひかる)とその仲間に編曲を委ね、新人の在日コリアン歌手・金昌寿(キムチャンス)の歌で、僕がプロデュース。そのニューバージョン盤がきっかけになって、封印されていた復刻版が世に出ることになった。みんなが本当に聞きたかったのは、34年前に出すことができなかった「イムジン河」だったんです。

地球上のどこに住もうと同じ人間

「イムジン河」復活のきっかけとなった新バージョン、キム・チャンスが歌う『イムジン河』

「イムジン河」復活のきっかけとなった新バージョン、キム・チャンスが歌う『イムジン河』

実際に34年ぶりに聞いたイムジン河は、それは感慨深いものがありました。でも、まだまだやりたいことはいっぱいある。「『イムジン河』は、アジアの『イマジン』だ」といってくれる音楽プロデューサーもいる。非常に象徴的な歌でもあるし、今も戦いが続くパレスチナ語やイスラエル語、ヒンズー語など、いろんな言葉で歌われればと願っています。
取材旅行が多い僕は、これまで宇宙人以外、地球上のいろんな人と出会ってきましたが、人間ってそんなに違うものじゃない。腹が減ると飯を食い、お腹がいっぱいになれば消化して出すものは出す。民族や宗教の違いといったって、ほとんど変わりはない。みんなで裸になって風呂に入れば、いっしょの人間ですよ。
それが、権力を持ちたい人間が一人いれば、差別が生まれる。社会をシステムアップする時に生まれるのが差別です。明治という近代化の時代に、それはより固定化されたのじゃないでしょうか。差別問題がクローズアップされたのは戦後ですが、僕は案外、差別って作られたものじゃないかと思う。『差別』という「固定化された言葉」を使い出した時点で、もうそこから進歩できないような気がしてならないんです。
「在日」というと言葉にしても、大抵の人は外国人というとらえ方をしてしまう。でもよく考えると、日本人を含め、日本に住むこと自体が在日。長い目で見れば、日本に来た順番が違うだけなんですよ。何千年前であれ、何十年前であれ、日本に来て、日本に定着した人だけのこと。陣取り合戦みたいなものでしょう。「自分の先祖は侍だった」とえばる人もいますが、それは先祖の話で、その本人が努力したわけじゃない。
国境だって、民族や考え方の違いから人間が地図上に引いたもの。国が固定されることで、○○人と決められ、○○人だからと戦争に送られ、拒否すると卑怯ものよばわりされる。このほうが問題だと思いませんか。僕たち人間はどうあがこうと、どの国に住もうと同じ人間。この地球からは身動きできないんですから。

 


このページで紹介した、本やCD

写真集 しんちゃんの写真

少年Mのイムジン河

松山猛 著

木楽舎発行 952円+消費税

イムジン河

ザ・フォーク・クルセダーズ

アゲントコンシピオ発行 953円+消費税

イムジン河

松山猛 プロデュース   changsu ボーカル

ソイツァーミュージック発行 953円+消費税

 

松山猛(まつやま たけし)

1946年京都市生まれ。1967年に作詞した「帰ってきたヨッパライ」がミリオンセラーとなる。その後、編集者、執筆者として雑誌「平凡パンチ」「ポパイ」「ブルータス」などで活躍、世界各国を精力的に取材する。現在、地球と人をながもちさせるエコ・マガジン「ソトコト」では「スローライフ」を提案。時計やカメラにも造詣が深く「時計芸術研究所」を主宰。著書に『少年Mのイムジン河』(木楽舎)、『ワーズワースの庭で』(扶桑社文庫)、『松山猛の時計王』(世界文化社)など多数。

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