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多民族共生

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2005/09/22
舞台の上で差別を怒り、笑い飛ばす ひとり芝居『身世打鈴』


民主主義に胸躍らせる一方で、差別者としての自分を知る

世の中、「えーっ!」というほど変わりました。まず普通選挙が始まって、みんなが選挙権をもてるようになった。今の人にとっては当たり前の話でしょうが、これは大変なことやったんですよ。当時の私はまだ18歳で選挙権はありませんでしたが、「すごいなあ、これで世の中が変わる!」と思って革新政党の運動員となり、ヘタな演説をして回りました。「よう、代議士!」なんてからかわれたりして、ここでもまたいい気になってたんです。
新屋さんの写真 機関紙の記者として紡績工場で働く女性労働者を取材したこともあります。この時に、戦前に朝鮮人女性が長時間の低賃金労働を強いられたことを知りました。
そうこうしているうちに新劇の運動が活発になり、東京から民芸や俳優座、文学座といった劇団がやって来て上演するようになったんです。弟に制作座で芝居を教えてくれるという話を聞いて入団しようと思い立ちました。
実は子どもの頃からお芝居が大好きだったんです。演芸好きな母親に連れられ、休みの日にはお弁当をもって朝から寄席や芝居小屋、映画館に通いました。宝塚歌劇も好きで、春日野八千代や葦原邦子にウットリしたものです。もちろん当時のスターは手の届かない憧れの人。自分が演じる立場になるとは夢にも思わなかったんですけど。
初めての舞台では台詞はひと言もありませんでした。でも役になりきる魅力にとりつかれ、生活のためにと就職した会社をやめて芝居の世界に飛び込んだんです。

勤めていた頃、職場のエレベーターを運転するアルバイト学生と知り合った。帰る方向が同じで、演劇や芸術の話をするうちに惹かれあうように。新屋さんは就職するという彼に大学進学を勧めた。彼・鶉野昭彦さんは同志社大学に進み、やがて劇作家となる。そして結婚、鶉野さんは公私共に新屋さんのパートナーとなった。娘と息子も生まれ、夫の母に助けてもらいながら、芝居に打ち込んだ。40歳を過ぎたころから一人芝居に取り組んでみたいと考えるようになる。劇団では出演者の8割前後が男性で、残りの2割ほどが女性という慣例があった。男性より芝居がうまくても、女性というだけで切符売りに回されることが珍しくない。舞台を独り占めし、存分に演じてみたい。そんな思いがふつふつと湧き出した時に一冊の本と出合った。在日朝鮮人である12人の女性たちの半生を聞き書きした内容に大きな衝撃を受け、「これを芝居にして上演したい」と強く思ったのである。

聞き取りをされた人たちが上演を快く許してくださったのはよかったんですが、それからが大変でした。日本と朝鮮との歴史なんてろくに知りませんでしたから、一から勉強です。日本が韓国・朝鮮を植民地にしてからの年表をつくって、そこに主人公の半生を重ね合わせて台詞を書き込んでいきました。在日の方や歴史の専門家から直接、日朝の歴史や在日朝鮮人の暮らしについて教えてもらったりもしました。学ぶうちに、あまりにも何も知らなかった自分に愕然とし、同時に子ども時代のことを次々と思い出したんです。
新屋さんの写真 わたしが育った家の近くには、朝鮮人の人たちが集まって住む地域がありました。ごく近所やったんですが、日本人の家は瓦屋根で、その人たちの家はバラック建て。家の造りも住む場所もはっきりと別れていました。朝鮮人の人たちが大きな声で言い合ったり、唐辛子をいぶすような匂いが立ち込めたり、お正月でもないのに木の臼でお餅をついたりしているのも珍しく思って見ていたものです。
おとなたちは「あそこに近寄ったらあかん」と子どもらに言うんです。「朝鮮人やから怖いよ」と。何が怖いのかはわからないけど、おとながそう言うんだから怖いのかなと漠然と思っていました。小学校は地域の小学校ではなく、わざわざ離れた小学校へ通う子が多かったです。朝鮮人の子どもと一緒になるのを嫌ったおとなたちが越境させたんですね。私も別に不思議とも思わずに通っていました。後でわかったことですが、大阪省線(現在の大阪環状線)の敷設工事にたくさんの朝鮮人労働者が従事していて、飯場にそのまま残った人たちによって朝鮮人部落ができたんです。そんなことも知らず、越境通学をしていました。
越境通学した先の小学校にも朝鮮人の女の子がふたりいました。ふたりとも貧しかった。日本名を使っていましたが朝鮮人だということはみんな知っていて、面と向かっては言わないけれど陰で言ったり、心のなかで「かわいそうやな」と思っているという感じでしたね。ひとりの子は足が速くて、同じく走るのが得意なわたしは負けまいと必死で走って勝ったことを覚えています。今思えば、クラスで偉そうな顔をしているわたしに遠慮している部分もあったと思います。ある時、宿題をやってこなかった彼女を先生が耳を引っ張って立たせたんです。その時、わたしは「先生! ○○さんは家で子守りしたり手伝いしたり、いっぱい用事があるから勉強ができなかったんです!」と言いました。
それはね、本当にその子をかばう気があったんじゃないんです。級長選挙があって、そういうことを言えば人気が集まるから……。そういうさもしい気持ちと優越意識があったんですね。恥ずかしいです。
人間、「自分は人より優れている」という優越意識が一番いけないと思います。人を見下しているわけですから。わたしも人を見下し、差別していました。

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