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多民族共生

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2015/01/29
関東大震災時の朝鮮人虐殺は「今」につながるレイシズムだ 加藤直樹さん


殺した日本人たちは、朝鮮人とつきあいがなかったのでは

――一番衝撃的だったことを教えてください。

 子どもの作文がキツかったです。

 朝鮮人がころされているといふので私わ行ちやんと二人で見にいつた。すると、道のわきに二人ころされていた。こわいものみたさにそばによつてみた。すると頭わはれて血みどりになつてしゃつわ血でそまつていた(後略)

 (前略)朝鮮人は電信にはりつけられて、真青な顔をしていました。その人わ、『こいつにくたらしい人だよといつて』竹棒で頭をぶつたので、朝鮮人はぐつたりと、下へ頭をさげてしまいました(後略)(『朝鮮人虐殺関連児童証言史料』(クム・ビョンドン編、緑蔭書房)

 

 全編こういう調子だったんです。
 日常的な作文のなかに「首がころがって居ました」などという言葉が出てくる嫌悪感。子どもたちは何も感じていないのかと、疑ってしまうほど淡々と書いていた。

加藤直樹さん

――ショックですね。

 もう一つ、書く過程で、この虐殺は、地域や職場、学校、家庭に存在していた朝鮮人と日本人の具体的なつながりを一瞬で破壊したものでもあったのだということが見えてきました。
 当時、日本にいた朝鮮人の多くは、来日して数年という人が多かったのだけど、それでも、日本人とのつながりが確かにあったことが、証言を通じて分かってきたんですね。日本人の親方の下で働く朝鮮人労働者とか、同じ学校で学ぶ日本人と朝鮮人とか、日本人と朝鮮人の夫婦とか。ところが、朝鮮人労働者を守ろうとした親方は一緒に半殺しにされ、日本人の奥さんは目の前で朝鮮人の夫を殺害される。
 一方、殺した日本人たちは、朝鮮人と、人と人とのつきあいを持っていなかった。たまに町で見かける、よく分からない人たちという認識だったのじゃないかと思います。

――その感覚、現在のヘイトスピーチをする人に通底します?

 そう。今、ネットでのヘイトの書き込みをする人たちも、在日や韓国人とつきあいがないのだろうと思うんですよ。
 もっとも、在特会のリーダーは北九州出身で、身近に在日がいたらしい。身近であるからこそよけいに激烈な差別感情を持った面もあるのかもしれませんが、ヘイトの層として広がっているのは、おそらく在日とも韓国人ともつきあいがあまりない人。コリアンの友達が一人でもいると、あんなバカなことを書けないですよ。

――加藤さんは新大久保のご出身だそうですが、子どもの頃から在日の友達はいましたか。

 小学校でも中学校でも、学年に民族名を名乗っている子が4人ほどいました。日本名を名乗っている子はもっといたでしょう。遊んでいるときに「○○ちゃんは朝鮮人なんだって」と誰かが言うような古典的な朝鮮人差別はあった。子どもの頃の僕は、「差別」の深刻さはよく分かっていませんでしたが、大人のルールを持ち込んで卑怯な手で勝つような気がして、そういうのはイヤでした。
 でも、新大久保は、商店や住宅、アパートが混在し、いろんな階層の人たちが住んでいたので、子どもたちはおおむね、在日についても、そうした多様性のひとつとして受け止めていたと思いますね。

 本書にも書きましたが、小学校3年のときに、友人たちが一人の女の子に「やーい朝鮮人!」とはやし立てたことがあったんです。そのとき、いつも笑顔の優しい先生が、発火するのではないかと思うほどの怒りを漂わせて、自分が育った北九州で戦時中に見た、炭鉱で悲惨な労働を強いられる朝鮮人の姿を、絞り出すような声で語ってくれた。十分に理解できなかったものの、大人が道徳的な問題で怒っている姿を初めて見た。強烈に印象に残りました。

――素晴らしい先生ですね。多感な子ども時代に一つでもそういう体験があると、ヘイトスピーチ側に回らないような気がします。

 僕の場合、子どものころのこともありますが、そのあと、韓国人、中国人など外国人の友達ができたから、ネットでヘイトの書き込みを見ると、そういう友人が侮辱されたと感じて頭にきます。

 ちなみに、本書の章扉のデザインは、ソウル在住の30歳の友人にやってもらいました。彼女はKinKi Kidsの熱烈なファンなんです。日本でも韓国でもどこでも、誤った考えに煽動されて、人を殺すような悲劇が起きてほしくないという思いで、鎮魂の思いを込めて描いたそうです。

――韓国では、関東大震災後の朝鮮人虐殺は知られているんでしょうか。

 虐殺が起きたこと自体はよく知られていますが、ディテールは知られていないようです。軍事政権時代に研究や報道が抑圧されたことと、ほとんどの史料が日本語であることから、研究が遅れたのだと聞きました。

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