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2011/10/28
人を診る医者でありたい 長尾クリニック院長 長尾和宏さん


尊厳ある胃ろうとは?
長尾和宏さん

 日本の医療費の大半を占めているのは、急性期医療や臓器移植、再生医療などの先端医療ではありません。6割を占める高齢者医療費です。人工呼吸器や人工栄養という医学の発達とともに、本人が希望しない延命治療が普通になされるようになりました。たとえば、100歳の認知症の人が肺炎を起こして入院すると、人工呼吸器がつけられ、胃ろうが入れられる。果たしてそれで本人は喜んでいるでしょうか。しかも、本来主流となるべき老年期医学を本気で教える大学は少数で、専門講座のある医学部は半数に満たない。医学界はガンなどの急性期ばかりに目を奪われ、超高齢化社会や終末期医療というものを直視していないとしか思えません。

 胃ろうについては、インフォームドコンセントがないに等しい病院も多々あって、病院の都合で胃ろうが造設され、実際は口から食べられるのに食べさせないケースも数多くあります。いまや日本の胃ろう人口は約40万人。病院では終末期患者にそうした延命処置が日々行われ、若い医師はそれが最新医療だと信じている。うちのクリニックには、「病院で説明もなく本人が望まない胃ろうを入れられているが、家に連れて帰って自然に看取りたい」という相談が時々寄せられます。
 僕は、同じ胃ろうでも「尊厳のある胃ろう」と「尊厳のない胃ろう」があると感じます。胃ろうで楽しい日常を享受できれば、いい胃ろうだと思う。しかし、人生の終末期に胃ろうが本当に必要なのかどうか……。同じ人の胃ろうでも、本人の病気によって胃ろうの意味が変わってきます。中には本人が植物状態にもかかわらず、死ぬと年金が入らなくなるからと、収入源として胃ろうを選ぶ家族もいる。胃ろうを巡る事情は複雑です。

医療界も変わらなければ

 医療現場では、末期がんで余命わずかの患者に抗がん剤がガンガン投与されています。人権を無視した「尊厳のない生」が結構あるように思います。医療者はそれを善とし、自己満足している一方で、医療崩壊だとか医療費不足、医者不足だと言っている。表面的な問題ばかりにとらわれ、根源部分で間違っていることに医療者自身が気づいていないように思えてなりません。一部の気づいている人も、直視することは自分たちの価値観やポジションをも否定してしまうことになるので声を揚げようとしないのです。
 治療医学主体の病院・急性期医療者と、我々のようなケアや生活を中心とする在宅医とでは、考え方が噛み合わない部分が多い。価値観が違うのですから、同じ土俵では会話が成立しないこともある。それは患者にとって、とても不幸なことです。

 また、患者側にも問題はあって、ブラックジャックのような名医が登場して何でも治してくれるのが当たり前、「現代医療は不老不死だ」と思い込んでいる人が実際いるんです。救急車を呼びさえすれば、いつでもどこでも最高の医療を受けられ、それが権利として保障されてると勘違いしている人も多い。そうした思い違いから医療者は余計に保身的になって、殻にこもってしまう。多少人権や尊厳が失われても、自分の保身のためにはフルコースの延命治療はしょうがないという論理にすり替わる。その結果、医療費や介護費はさらに大きく膨らんでいくのです。

 医療界はこれまで死を敗北としてきました。「死」と向き合うこともなく、病院内で死について語ることは一切ありませんでした。医療者自身の死生観がおかしくなっている。だからこそ、今、医療界は根源から変わらないといけないと思うんです。医療者側は医療の原点を再認識すること、患者側は死生観を確認すること。この2点を見直すことが、至急の課題だと思います。これは僕が大学生の時から32年間取り組んできた問題でもあります。大変大きなテーマなので、とても僕だけの手に負えるものではありません。唯一可能なのが医学教育だけかもしれません。

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