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人を診る医者でありたい 長尾クリニック院長 長尾和宏さん

2011/10/28


 医療に対して何らかの不満をかかえる人は多いだろう。担当医や薬への不信、偏った医師不足、あるいは諸々の医療制度まで、医療界は問題が山積みである。そうした諸問題に臆することなく歯に衣着せぬ発言を続ける長尾和宏氏(53歳)。町医者に徹し、「病」だけではなく病をかかえる「人」を診たいという総合医療のプロしての信念があるからだ。

誰もが穏やかな最期を迎えられるよう、人を診る医者でありたい。 長尾クリニック院長 長尾和宏さん

 長尾クリニックに休みはない。開業から7年後の2003年より年中無休の外来診療体制を整え、06年には訪問看護ステーションと居宅支援事業所を一緒にした「在宅医療ステーション」を設置。長尾氏をはじめ医師7人と、訪問看護師やケアマネジャー、理学療法士らがチームを組み、365日24時間の在宅医療体制を強化した。以来、在宅で看取った患者は約450人。現在、人間ドックなど「予防医療センター」も併設し、臨床研修医の実習など教育も担っている。さらに、クリニック横のテントでは無料の「医療・介護よろず相談室」を常時開き、毎週土曜日には長尾氏も常駐。年に2回、がんや認知症など市民の関心が高い病気啓発のため「市民フォーラム」を開催。禁煙教室や予防医療に関する高校や大学での講演活動も行っている。
父の死から医の道へ

 自衛隊員だった父の転勤で、香川県善通寺市から尼崎市に移ったのが5歳の頃。その後、父が病気になり入院したものの快方に向かわず、「入院しても何も変わらないな」と、子ども心に医療への失望感を味わった時期でもありました。
 その父が高校の時に他界。一時は、教師を志していましたが、父の死がきっかけで医師を目指すようになりました。しかし、大学受験に失敗。「母子家庭だから早く社会に出て親を楽にしなさい」という周囲の声に、自動車メーカーの生産ラインや日雇いの土木作業現場で働いていたことも。でも、あきらめ切れず、再び大学を目指したのです。

 東京医大時代は家賃8千円の3畳一間に住み、学費と生活費を捻出するためにアルバイトに明け暮れる日々。クラブ活動では「社医研」と呼ばれる無医地区研究会に入り、夏・冬・春の休みには高齢化率が高い長野県の下伊那郡浪合村の公民館で合宿し、全戸を家庭訪問して健康教育や予防医療を行っていました。今でいう在宅医療、予防医療です。つまり、僕の中では大学時代と今とは何も変わっていないのです。

一人でも多くの人に苦しまない最期を

 卒業後は大阪大学第二内科に入局。研修生として新大阪の救急病院で修行を積みました。末期がんなどの患者が毎日救急車で送られてくる、いわば大学病院の下請け的病院で、泊まり込みで連日手術室に入り、外科手術や麻酔も学びました。
 その2年間、病棟で多くの重症患者を診ながら、「何かおかしい」という思いが頭から離れなくなったんです。毎日のように末期のがんや肝臓病患者の壮絶な最期に立ち会いながら、「なぜここまで苦しまなきゃいけないんだ」と。吐血する患者に輸血しても輸血しても血が出ていく。輸血すれば吐血し、また輸血する……。「余計なことをするから苦しむんや」という疑念は、20年後には確信に変わりました。このハードな研修医としての経験が、「苦しまない最期の医療」と「在宅での自然な最期をサポートする医療」を目指すきっかけになったのです。