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出生率の増加が望まれる一方で、年々お産を取り巻く状況は厳しくなっている。「住んでいる地域にお産ができる病院がない」と悩む人は少なくない。産む人と医療者がともに生かされる、新しいお産サポートのあり方を探る。


昨年あたりから、新聞などのマスコミで「産科医療の崩壊」がさかんに報道されるようになった。研修医制度の変更にともなって若手医師が大規模病院に集中するようになったことで、地域の産科医師が不足し、お産の取り扱いを中止する医療機関が続発した。残った施設に妊産婦が殺到し、そのためそこで働く産科医は激務に耐えられずやめていき、さらに産科医が減る・・・という悪循環が発端になっているといわれる。「〇十万人の妊婦が路頭に迷う」などといった表現も見られるようになった。
しかしこれらの中で紹介される産婦人科医師らの声の中には、ちょっと待てよ、と言いたくなるものがいくつかある。
今後の新しいお産サポートのあり方を考えるうえで、ちょっと気になるこれらの言葉について考えてみた。

たとえば、こんな言い分。
「産科は訴訟が他科より多く、医師が大きなリスクを抱えている」「お産は予期せぬことが起こるもの。それで訴えられるのは辛い」「訴訟リスクを恐れて産科医へのなり手がいない」
このフレーズはマスコミも好んで取り上げ、「産科医療の崩壊」という言葉とほとんどセットで見かけるようになった。産科医は理不尽な訴訟に追い詰められる被害者なのだ、といったニュアンスが感じられる。これを聞いた一般の人は、「お医者さんは一生懸命やっても訴えられて大変なのねぇ」といった感想を持つのかもしれない。
産科医たちの言うように、産科で頻発する訴訟が、お産に一定の割合で起きる不幸な結果を医療ミスだと思い込んだ妊産婦側が起こしているものだとすると、産科医たちは、妊産婦側のそういった勘違いによって危機にさらされていることになる。
だが、これら産科医たちの主張は本当なのだろうか。そして、こういった発言はいったい産科医療に何をもたらすのだろうか。

死という不運が思いがけず最愛の人に降りかかったとき、人は誰しもその理由が知りたい。ましてや医療スタッフの振る舞いに不審な点を感じたとしたら、疑問は大きく膨らんでゆく。それを医師に尋ね、ミスがあったのなら謝ってほしいと考えるのは当然のことだろう。
ところがその時、医療側があからさまなウソをついてごまかそうとしたり、剣もほろろの不誠実な対応をしたとき、どうすればいいのか。話し合いのテーブルについてもらえないとしたら、現状では裁判に訴えるよりほかに方法がない。
これは誰であれ患者の立場になったときに共通するものだ。医療者とて例外ではなく、医療被害者の集会に行けば、被害者として病院を相手に訴訟を起こす医師や看護師の姿もさほど珍しくはない。
だが医療裁判というものは、医療側よりも患者側のほうがはるかに不利な立場にある。患者側に立ちはだかるいくつもの壁のうち、おもなものを挙げてみよう。
- 専門性の壁・・・医療の素人である患者側が医学に踏み込んで過失を立証しなければならない。
- 証拠の壁・・・カルテなどの証拠書類はすべて医療側が持っており、改ざんなどを防ぐことができない。
- 権威の壁・・・医師と患者の主張が異なる場合、裁判官は専門家の言うことを信用することが多い。また、権威に楯突くことへの恐怖感や、周囲の「カネ目当てか」「死んだ人間は帰ってこない」といった偏見とも闘わねばならない。
- 経済の壁・・・医師は訴訟保険に加入しているが患者の訴訟費用はすべて自費。
- ジェンダーの壁・・・産科の患者は女性であり、出産のため収入がないことが多い。そのため夫の反対で泣き寝入りするケースは少なくない。
たとえば医療事故調査会の調べでは7割以上の事例で明らかに医療側の過失が認められるとされるが、医療訴訟での患者側勝訴率は3割程度といわれる。
こういう状況の下で損得勘定をすれば、ふつう訴訟など起こさない。「泣き寝入り」がいちばん賢い選択肢ともいえる。産科医たちの言うように、思い込みや勘違いで訴訟を起こせるほど患者側の状況は甘くなさそうだ。
陣痛促進剤による被害で子どもを亡くして以来、医療被害者の相談に乗り続けているある人は、こう言う。
「医療裁判を起こすのは、予期せぬことが起こったからでも、結果が悪かったからでもありません。その前後にあった医療者たちのあまりにも不誠実な対応の連続の中で『医療被害に遭ったのだ』と確信させられ、それを認めてもらう方法が裁判以外にないからです。たとえ医療ミスがあったとしても、医療側が誠実に対応さえしてくれていたら訴訟は起きません」
出産時に死亡したある産婦の父親は、涙ながらにこう語る。
「私たちも娘の死を受け入れようと必死で努力しました。もしもあのとき医師が必死になってなんとかしようとしてくれていたら、死を受け入れられたかもしれません。でも、命を救うという姿勢が医師にまったく感じられませんでした。このままではどうしても心が救われないのです」
逆のケースもある。愛知県のある産科医院では、出産時の事故で障害が残った子どもの親が訴訟を起こしたが、驚いた医師がすぐにカルテを見せてていねいに対応し、両親の指摘する問題点を認めて謝罪し、同じことを繰り返さないよう今後の対策を講じたことで、患者側はあっさりと訴えを撤回した。
妊産婦側が訴訟を起こすのには、いくつもの壁を乗り越えてでも訴えなければならないだけの理由がある。だとすると、いくら産科医たちが「訴訟のリスクが〜」と言ったところで、産科の現場の状況が変わらない限り訴訟が減ることはないだろう。
逆に、患者側を取材して感じさせられることは、真面目に医療を行い誠実に対応する医師ならば、訴訟のリスクなど恐れる必要はないということだ。
にもかかわらずそのセリフを繰り返すことは、若い医師や医学生に必要以上にそういうイメージを浸透させ、「なり手がない」状況に拍車をかけてしまう可能性も考えられる。被害者を傷つけるうえ、産科医療の将来にとって何ら利益をもたらさないこんなフレーズを産科医の団体が使うのは賢明ではないだろう。
訴訟を減らすには、まずは同じような医療被害を繰り返さないことだ。それには実際に起きた医療被害を検証し、そこから学ぶ以外に方法はない。
「産科医療の崩壊」の今こそ、産科医療者は被害者の訴えに耳を傾け、被害の防止についてともに考えるべきだろう。
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