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 女性であり障害者であり、さらには障害をもつ子どもの親であり・・・と、「何重もの抑圧を受けている」と安積遊歩さん。鬱屈した気持ちをとことん聞いてもらう「再評価カウンセリング」によって怒りや悲しみといった感情を解放し、自分を取り戻しているという安積さんに、感情と向き合うことで見えてくるものを語っていただきました。

自分の感情を大切にすることから、人の痛みへの共感も生まれる安積遊歩さん(後編)

親子で歩いていると、時々「殺意」を感じる

 今、暴力的なことが突然起きてもおかしくない時代になっていると感じています。以前からあるにはあったんですけどね。たとえば、いきなり車椅子を蹴っ飛ばされて「おまえみたいな奴は病院に入っていればいいんだ!」と怒鳴られたり、「死ね!」と言われて唾を吐かれたりした友達もいます。でも私は今までそういう目に遭ったことが一度もないのね。ジロジロ見られることはしょっちゅうだけど、娘が生まれるまでは面白がってたぐらい。「スターだと思えばいいのよ」なんて言ったりして。昔、障害をもった仲間が「街を歩くと殺意を感じる」と言った時、当時シングルだった私は「なんて大げさなんだろう」と思いながら聞いていたの。だけど今、娘とふたりで歩く時、たまに殺意を感じる時があるんです。「まあ、かわいらしいわね」というぐらいの気持ちで見ているだけかもしれないけど、経済的な価値を重視する今の日本では「障害をもった親子」なんてあってはならない存在でしょう? 100回「殺意」を感じたとしたら、そのうち1回ぐらいは当たってるんじゃないかと思ってしまう。

幾重にも重なる抑圧の構造

安積遊歩さん だからといって、社会に対する発言や活動を躊躇はしません。躊躇したら子どもに対して申し訳ないと思うから、殺意を感じようが何しようが、外に出て行くことはためらわない。ただ、怒りは増幅されましたね。その怒りが、パートナーに向かうというのが悪循環。彼もちょっとかわいそう。
 というのも、彼は大人になるまでずっとお母さんに大事に育てられたから、家事は一切できなかったんです。「家事ができないぐらい、どうでもいいじゃない」と思われるかもしれないけど、私にとって家事がスムーズにいくかどうかはとても重要なこと。だから野菜の切り方、掃除の仕方ひとつにもつい厳しい口調になってしまいます。すると「こんなにいいダンナさんにそこまで言うなんて」と私が責められる・・・。
 障害をもたない女性たちは黙って女性差別に耐え、男たちを甘やかしてきました。甘やかされて育った男に、車椅子の私が一から家事をトレーニングしなきゃいけないんだから、なかなか大変ですよ。だけどそうやって男たちを育てた母親は夫から暴力や抑圧を受け、夫である男性たちは社会から戦争や会社での生存競争に強制的に参加させられてきたわけです。ものすごい抑圧の構造のなかで、みんながバラバラにされているよね。
 だから、目の前にいる彼だけの責任じゃないとわかってるんだけど、私ほど危機感を感じていない彼を見るとつい当たりまくりたくなってしまう。大好きでいっしょにいるのにね。
 怒りが増幅すると疲れます。シングルの時だって疲れたけど、やっぱりワクワクした気持ちもあったんですよ。「私が社会を変えていこう!」とか。でも、もともと障害者であり女性であり地方出身者であるという抑圧を受けているところへ、家事が一切できない夫の妻であり、さらに親として、しかも障害をもつ子の親としての抑圧を受けるようになり、ここ2、3年は精神的なゆとりをなくしがちですね。

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