おとなと子どもの狭間で揺れる思春期の子どもたちは、さまざまな形で「メッセージ」を発信する。その一つひとつに親はとまどい、慌て、時には力で抑えようとする。取材を通じてさまざまな子どもたちを見てきた鳥越俊太郎さんが、ジャーナリストとして、そしてコンプレックスと格闘しながら生きてきた「かつての少年」として語る、思春期の少年たちをめぐる問題と彼らへの思いとは。
――子どもがおとなの想像を超える事件を起こすと、マスコミが大きく取り上げ、「なぜこんなことを」と原因探しが始まります。家族関係、学校での様子、成績…さまざまな情報が出され、教育や法律の「専門家」が論評します。ある意味、子育てに大きなプレッシャーがかかる時代だと思いますが、鳥越さんはどう感じていらっしゃいますか?
確かに驚くような事件が起きますね。そして昔だったら非常に特殊な例として考えられたことが、今は「ひょっとしたらわが子も?」と他人事とは思えないという状況がある。つまり、昔は隣近所や地域の仲間、きょうだいがたくさんいて、親がかまってやれなくても子どもが育つ環境があったわけです。ところが今は近所づきあいがないし、きょうだいも少ないか一人っ子で、子どもの居場所は学校と家庭しかない。家に帰ればもうコミュニケーションをとる人がいなくて、ひとりでゲームをしたりテレビを見たりしているという、ぼくから見ると非常に孤独な環境に置かれている。子どもが成長していくためのさまざまなことを自然に学んでいく場が失われているのを感じます。
――親や学校がどうかというより、そもそも子どもを取り巻く環境が子どもの成長にとっては厳しいものになっているということですね。
ぼくの「人間としての学び」は、子ども時代、ガキ大将が仕切る20〜30人の集団のなかから始まりました。最初は一番末端で、泣かされたりもしたけど構ってくれる子もいて、そのなかで自分が生き残っていくためには何をすればいいのかを学んでいくわけです。今はそれがないでしょう。子どもたちには「いったん仲間から外れたら戻れない」という恐怖心があって、クラスで孤立しないように、いじめられないようにと必死になる。
動物はみんなそうですけど、ポツンとひとりで置いておかれては育たないんですよね。群れのなかで切磋琢磨していろんなことを学んでゆく。人間はさらに社会的な動物だから、地域や友人関係といった「社会環境」が不可欠なんです。ところが今は人間として育つための環境がじゅうぶんではない。そういう意味で、今の子どもたちは非常につらいだろうと思います。そして残念なことに多くの親がそれを認識していません。
――今の子どもたちは豊かな時代に生きているように見えても、実際には人として成長する環境が整っているとは言えないんですね。そのことを親が認識していないと、どんな問題がありますか?
人間関係が非常に限られているぶん、親が意識して子どもと積極的に関わったり、学校以外に人間関係をつくれる場を用意したり、背中をちょっと押してあげたりというようなことを思春期に入るまでにやっておく必要があるということです。思春期に入ってからでは遅いんですよ。特に男の子の場合は、女の子より変化が激しいので、親の言うことなんかききません。むしろ「うざったい、うるさい」という拒絶感が出てきますから。ある程度の準備段階がないまま、いきなり思春期の突風のなかに突っ込んでいくと、親としての関わりは非常に難しい。場合によっては事件という形になってしまうというのがぼくの実感です。
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